2005/8/23  14:07 | 投稿者: 益子

 1年ほど前からある雑誌のコラム欄の投稿を頼まれて何となく思ったことを書いています。その内容をこのブログに公開したり、いろいろなひとりごとを書いてみたいと思います。

 今月号からこのコラムを担当することになった。最近、自分の身に降りかかってくることにあまり逆らわないようにしている。自分の運命は自分にとって必然的なものだと思うからである。もう少し婆くさく言えば、「何かの御縁なのでありがたくやらせていただく。」といった感じだ。そうは言っても、教師という職業柄、授業案とか研修のまとめ、保護者向けお便りなどは書くが、コラムというようなものを面白おかしく、あるいは、読んでいる人に何かしらの印象を与えるように書けるかどうかは大変不安である。
 ともあれ、記念すべき第一回は自己紹介を兼ねた話でご勘弁いただきたい。私は養護学校の教員をしている。いわゆる障害のある子どもさんの学校だ。障害と一言に言っても、これは本当に多種多様である。制度的に言えば、体に何らかの障害のある肢体不自由や、知的に遅れのある知的障害の子どもさん達が通う学校を養護学校と呼び、その教員をしているということだ。
「障害」という漢字を使うのが一般的だが、最近は「障がい」と「害」の字をひらがなで書いたり、「障碍」と書いたりする雑誌などをよく目にするようになった。このように障害者を取り巻く社会の、ここ十数年あまりの考え方の変遷は、言葉にも表れている。例えば、障害のあるお子さんと無いお子さんを一緒に教育することを「統合教育」と呼んでいたが、最近は「共育・共生」という言葉を使う。「統合」には違うものを一緒にするというニュアンスがあるが、「共育・共生」は、誰もが一緒、特に障害を意識しないように感じられる。「知的障害」も以前は「精神薄弱」という言葉を使っていた。彼らは心豊かであり、けして心が薄くて弱くはない。とんでもない言葉を使っていたものだ。また、昨今は、「特殊教育」ではなく「特別支援教育」と言うようになり、それに伴ういろいろな改革を推進中である。
言葉や字が変わっていくことが、子ども達のためになることであると信じたい。
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