2005/8/28  10:11 | 投稿者: 益子

 前任校では訪問教育を長く担当した。これは、何らかの理由で学校に通学することができない子どものところへ、教員の方が出向いて、つまり訪問して教育を行う形態である。障害がとても重度で通学できない、自宅が養護学校から遠くて通えないなどの事情がある。また、施設に入所している、あるいは病院に入院している子どものところにも訪問する。筆者は、入院している子どもが病院内の教室で学習する学級を担当していた。病院側が子どもの教育の必要性を感じ、教育委員会と連携がとれ、体制を整えることができた限られた病院で実施されている。それらは、比較的治療に時間のかかる病気(小児がん・心身症・てんかん等)を扱う病院である場合が多い。
 病気とはいえ、病棟から病院内の教室に通って来る元気がある。しかしだからといって、国語、算数の勉強をするほどの気力はない。でも、勉強が遅れるのは心配だ。それより、明日の検査は痛いのだろうか・・この病気は治るのか、自分はこれからどうなるのか・・今日、入院してきた同室の子と仲良くできるだろうか・・家に帰りたい・・子ども達の心は複雑に揺れ動き、さまざまなストレスを抱えていた。 
 そんな子ども達が、「学校に行きたい」と思って、進んで教室に登校して来ることを願い、授業が楽しいものになるように工夫した。そして、子ども達の心の支えになるような教師でありたいと願った。一人ひとりの話にゆっくり耳を傾けた。ゲームで楽しく遊ぶこともあった。アイロンビーズといって小さなビーズで素敵な模様作りをするなど、物を作る活動で心が和む子どもが多かった。
筆者は担当しなかったが、小児がんの子どもを担当すると、場合によっては、ベッドサイドで話し相手になることが授業となり、そして家族と一緒に最後を看取るという悲しい経験をする同僚もいた。
 台風や地震などの災害にあい、思いもよらなかった生活を強いられ、また、心を病んでいる子どももいる。治療の難しい難病になる子どももいる。障害を持って生まれてくる子どももいる。不登校・ひきこもり・・・さらに「普通の子」と呼ばれる子どもも様々な心の闇をもっている時代である。
 子ども達にとって必要な教育とは?学校とは?大きすぎる問いだ。
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2005/8/25  14:05 | 投稿者: 益子

 学生時代は京都で過ごした。学生マンションなるものは、私が大学を卒業する頃に聞かれるようになったが、大方は、木造二階建て、共同トイレに共同炊事場、共同風呂(無ければ銭湯、)四畳半が十数部屋といった学生アパートが一般的だった。北大路通りを少し下がった(南に行くことを京都では下がると言う)大文字焼きの大の字や比叡山の良く見える、鴨川の土手下の閑静な住宅街で、有名な神社の神主さんの未亡人で1人暮らしの、多分六十代の上品なおば様が大家という学生アパートに私は居を構えた。アパートに出入りするためには、そのおば様が一日中いる台所と居間の外側を通るようになっており、「行ってきます。」「ただいま帰りました。」と下宿人の誰もがあいさつした。門限は十時。十時には、アパートの戸締りに鼻歌を歌いながらおば様が表れた。その見回りで彼女は、鼻を利かせ、タバコの匂いをキャッチすると後でお叱りを受け、場合によっては出て行かなければならなかった。静かなアパートにするためか、十三人いる下宿人のうち半分は予備校生だった。そして部屋にテレビを置くことは禁止されていた。また関所を通る時に、「ちょとあなた!」と呼び止められ、おしゃべりに付き合わされることもあり、はたまた「今度の日曜日、あなたおヒマ?ちょっとお留守番をしてちょうだい。」なんてこともあった。関所を無人にしたくないのである。そんなお留守番を仰せつかった時には、決まって、四条通りにある大丸デパートで何かお土産を買ってきてくれたものだ。
 そのおば様からお誘いを受け、裏千家の茶道を習った。私は気に入られていた下宿人だったらしい。毎週木曜日に、他の二、三人の下宿人と一緒に母屋のお座敷でお稽古した。お薄の味も好きだったし、お茶をいただく前に食べるお菓子も楽しみだったので、お稽古は嫌いではなかったが、おば様のおしゃべりが長くて、八時からのお稽古は十一時を過ぎ、足が痛くなるのと、お抹茶はカフェインが強く、二服飲むとその夜は眠れなくなってしまうのが辛かった。
 長男が京都の大学に入った。ユニットバスに小さなキッチンのついた学生アパートは当たり前だ。インターネットのジャックさえある。コンビニ、携帯電話、パソコン・・・学生の生活は本当に様変わりした。
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2005/8/23  14:07 | 投稿者: 益子

 1年ほど前からある雑誌のコラム欄の投稿を頼まれて何となく思ったことを書いています。その内容をこのブログに公開したり、いろいろなひとりごとを書いてみたいと思います。

 今月号からこのコラムを担当することになった。最近、自分の身に降りかかってくることにあまり逆らわないようにしている。自分の運命は自分にとって必然的なものだと思うからである。もう少し婆くさく言えば、「何かの御縁なのでありがたくやらせていただく。」といった感じだ。そうは言っても、教師という職業柄、授業案とか研修のまとめ、保護者向けお便りなどは書くが、コラムというようなものを面白おかしく、あるいは、読んでいる人に何かしらの印象を与えるように書けるかどうかは大変不安である。
 ともあれ、記念すべき第一回は自己紹介を兼ねた話でご勘弁いただきたい。私は養護学校の教員をしている。いわゆる障害のある子どもさんの学校だ。障害と一言に言っても、これは本当に多種多様である。制度的に言えば、体に何らかの障害のある肢体不自由や、知的に遅れのある知的障害の子どもさん達が通う学校を養護学校と呼び、その教員をしているということだ。
「障害」という漢字を使うのが一般的だが、最近は「障がい」と「害」の字をひらがなで書いたり、「障碍」と書いたりする雑誌などをよく目にするようになった。このように障害者を取り巻く社会の、ここ十数年あまりの考え方の変遷は、言葉にも表れている。例えば、障害のあるお子さんと無いお子さんを一緒に教育することを「統合教育」と呼んでいたが、最近は「共育・共生」という言葉を使う。「統合」には違うものを一緒にするというニュアンスがあるが、「共育・共生」は、誰もが一緒、特に障害を意識しないように感じられる。「知的障害」も以前は「精神薄弱」という言葉を使っていた。彼らは心豊かであり、けして心が薄くて弱くはない。とんでもない言葉を使っていたものだ。また、昨今は、「特殊教育」ではなく「特別支援教育」と言うようになり、それに伴ういろいろな改革を推進中である。
言葉や字が変わっていくことが、子ども達のためになることであると信じたい。
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