続きです。
連載第1回から読んでくださる方は
コチラから。
他の二人。
ブーと
ウーもそれぞれ5年生と2年生を終えました。こちらは修了式といったものあるわけでもなく、普通に授業をして
「それじゃあバイバイ」という程度の終わり方だったそうで、さすが、
農耕民族との違い引っ越しをいとわないお国柄でしょうか。
ブーは学校ではこの学年をほとんど日本語を使って終わってしまったような感じでしたが、
バレエスクールでは地道に鍛えられていました。日本でようやくもらった
トウシューズはお預けになり、Ballet2という下から2番目のクラス(更にその下には幼児のクラスがありますが、こちらはまだバレエとは呼ばれません)で半年。
週に2回のレッスンの他、連日のリハーサルに追われる日々でした。春にはダウンタウンで行われた大きな公演で、
プロと一緒の舞台を踏む機会を得たのです。(ラ・フィーユ・マルガルデの全幕もののうち木靴の踊り)このパフォーマンスについても、もう目から鱗の話題がてんこ盛りでしたがまた別の機会に(書けるかな?)。
そして6月の
スクールリサイタル。ここではクラスごとに1年の練習の成果をバーレッスンから披露します。このクラスは少人数で、ロシアワガノワ派のイタリア人教師にみっちりと教えてもらえたので、難しいステップは何一つないものの、きっちりと基礎を押さえた素晴らしい舞台でした。
余談ですが、このパフォーマンスは近くの公立ハイスクールの講堂を借りて行われました。日本の感覚で「高校の体育館」程度の予想しかしていなかった私は行ってみてびっくり!日本の地方にある市民会館の小ホールみたいな規模です。そして舞台はちゃんと緞帳や照明まで備えていて、音響もバッチリ。
これが公立高校?とびっくりしました。それも特別良い学校区というわけではなさそうです。教育(特に芸術やスポーツ)にかける意気込みや予算の根本的なレベルの差をここでも思い知らされました。
その頃の先生のスピーチはわからないながらもビデオに撮っておいたのですが、先日ダビング作業中に見ていたらようやく意味がわかりました。この年は、スクールの上級生たちのうち特に優秀な3人がニューヨークで行われた国際コンクールで入賞したこともあり、うちのスクールの黄金期でもあったのです。それで入賞者たちの披露もあり、非常にレベルの高いスクールパフォーマンスでした。そんなこととも知らず、のほほんとしていられた良い時代だったのかもしれません。
一方、アパートメントのコミュニティでは
プールもオープンし、プールサイドでくつろぐ人たちの姿も多く見られるようになっていました。我が家も、怪我で要安静のオットを家に残してよく子どもたちをプールへ連れ出しました。家から直接水着で歩ける環境は最高。池の周りの白い砂浜にはグース(カナダガン)やマガモがヒナを連れ歩きのどかそのものでした。
夏休みに
フーは1週間のHorse Camp(乗馬クラスの付いたサマーキャンプ)へ。言葉が話せなかったので1週間では特に友達もできなかったということですが、それでもとりあえず、訊けば
「楽しかったよ」と
仏頂面で答えてくれたのでホッとしました。
先日この時のビデオをダビングしていたところ、自分のあまりの愛想のなさ、不機嫌さに大ウケしたフーがケラケラ笑ってました。まったくもう・・・。心配したのになあ。子どもってホントにたくましい。あの状態から立ち直ったなんて。今となってはすべてが夢のようだからこそ今のうちに書き留めておこうと思ったわけですが。
このhorse campに参加したことのある日本人の子を他にも知っていますが口を揃えて
「食事が死ぬほどまずい」と言うので笑ってしまいます。毎日まずいドーナツとかまずいシリアルとかまずいスパゲッティとかだそうです。この辺りではスパゲッティって基本的にソフトめん状態までゆでてあるしね
(イタリアへ行くとパスタが堅くてまずいんだそーです(笑))。そんなわけで、フーもご多分に漏れず、げっそり痩せていました。
「だって食べるものないんだもん」とのこと。でもプールで泳いだり、馬の世話をしたりもちろん乗馬を習ったりしたことは良い経験だったようです。
そのときにもらった評価シートはアメリカ人の得意なホメ殺し(笑)でしたが、それを差し引いても、半年間で、言われたことをちゃんと理解できるまでには成長していたんだなあと思うとその小さな進歩が嬉しかったです。
ブーはバレエのサマーキャンプへ。5週間毎日朝から夕方までバレエ漬けになりました。自分で好きなお弁当を準備しては毎日
どっぷりバレエに明け暮れるブーが羨ましいやら、ちょっと尊敬しちゃうやら。クラスメートはおしゃれで生意気なお年頃。言葉がろくに話せないブーなど相手にしてもらえず、いつもぽつんとしていました。バレエの方はまだ目に見える変化は出てきていませんでしたが、着々と基礎を身につけていた頃です。最終日の発表会では出番もほとんどなく、その他大勢の中に紛れているか、人形の役で動かないか、といった状態でした。よくもくもくとがんばったものです。
←また親ばかん(^^;)
ウーは近くの町でのサマーキャンプを取りました。毎日送り迎えで午前中だけですが、少しでも現地の子どもたちと過ごす時間を作ってやりたかったのです。最初は嫌がっていたものの、動物保護活動家(
レンジャーと呼ばれます)が野生動物を連れてきて見せてくれたり、
プールへ行ったり、
公園の探検をする毎日にすぐ夢中になったウーでした。
ポイズンアイビー(毒ツタウルシ)にかぶれてピンクパンダになってしまったのもこのサマーキャンプの思い出です。これは病院できちんと治療してもらわないと大変なことになるのでちゃんと小児科に連れて行きました。この時のピンクパンダ写真を撮ってママ猫さんに激しくひんしゅくを買ったのも微笑ましい思い出です(爆)。
馬牧場に面した家の購入手続きも進み、いよいよ引っ越しという時。また次々と事件が…!
つづきます
事件編へ
子どもたちが英語を習得するまで シリーズ最終回へ
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