(
続きです)
学校に通い始めた
ブーはとても
楽しそうにしていました。
今日はあんなことをした、こんなことをした…と話をしてくれました。日本人のAちゃんBちゃんの話しもよく出ました。二人とも良い家庭のお嬢さんたちで優しく面倒見が良く、毎日がとても楽しそう。
楽しそう…楽しそう…楽しそう…
そのうち心配になってきました。
ブーの口からはその2人の名前
しか出てこないのです。授業の内容はおろか、他のクラスメートの名前もろくにわかっていないようでした。
そしてある日、ブーの口から出た言葉にびっくり。
「明日は竜巻き訓練があるんだって!」
竜巻き訓練!!もちろんTornade Drillのことですが、ブーはその「トルネードドリル」という言葉も知りませんでした。
何から何まで全て日本人の女の子たちに通訳してもらって
日本語だけで生活していたことがわかったんです。
その子たちだってそうやってやってきたのだから…となんとか安心しようと思ったものの、彼等の状況はやはり違っていました。それぞれ週に何日か、数時間ずつ
プライベートで英語サポートを受けていたのです。そんな彼等はちゃんと授業にもついていけて、更にブーの面倒も見てくれていたのです。
もちろん公立学校でもESL(English as a Second Language=英語の補習授業)のサポートはあります。1日のうち何時間かはESLのクラスへ行き、授業を受けるのですが…実はその学校のESLではほとんどが遊びを通して英語に親しむようなもので、英語の勉強というよりは、レギュラーの授業についていけない間の
逃げ場のような存在であったようです。
日本人のお母さんたちから聞く話ではそれでは
とても足りないとのこと。それでプライベートの英語クラスを受けるのが一般的になっていたのです。その費用には驚かされました。1時間数十ドルものレッスンを週に何時間も!!駐在員として来ているご家族には会社から英語を学習するための
補助や手当てが出るそうです。
残念ながら、駐在ではない我が家には
とてもとても手が出ない金額でした。ましてや3人です。日本人の家族と状況が違っていました。お金のことで子どもに十分なことをしてやれないのは辛かったですが、ブーにはなんとか学校のESLだけでがんばってもらうしかありません。
なのに、驚くべきことに、学校のESLの先生たちさえ、
「できればそういった外部のサポートを受ければいいじゃない?」という姿勢だったのです。彼等にとって、「日本人はみんな同じ」だったのかもしれません。
家でもできる限りのサポート(英語を教える)をしようと思いましたが、当然ながら子ども達は嫌がりました。今なら私も、当時彼等に
どれほど余裕がなかったか、どれだけ
いっぱいいっぱいの限界の中でがんばっていたか、思い当たるのですが、当時は自分自身がいっぱいいっぱいだったためにそれがわからなかったのです。私は無理矢理彼等に過去形やら三人称やらを
教え込もうとしていました。
家の中はだんだん
険悪な雰囲気になっていきました。
更に、学校の宿題が出るようになってくるとブーはまるで
お手上げでした。5年生の社会の宿題は百科事典サイズの教科書を何ページも読みこなして問題に答えるようなもので、当時、娘はおろか、私だって時間内に終わらせるなんてとても無理、歯が立たなかったのです。
そんなことも含めて、日本語補習校で知り合った英語のできる知人に付き添ってもらい学校へ相談に出かけました。
ところが学校では
「ブーには何の問題もないわ、よくやっているし、心配ありません」と言われたのです。でも実際にブーは日本人の友人たちに助けてもらわないと宿題が出ていることすらわからない状態で、宿題を提出できる状態ではなかったのです。でも「
それでかまいません」とのこと。
「わからなければ、わからないと言ってもらえばやらなくて良いです。」でもそれではいつまで経ってもブーの英語は進歩しないではないですか。
そのとき、先生方から上記の
「他の日本人の生徒たちのようにプライベートのレッスンを受けてはどうか?」と言われてしまったのでした。
そこできちんと説明すればよかったのですが、
「週に何百ドルものお金を出せる余裕がない」という当たり前のことが言えなかったのです。
これが見栄のためだったのか、それとも当然のようにそういう提案をしてくる先生方に失望したためだったのか、よく思い出せません。とにかく、先生の誤解を解くだけの英語力さえも当時の私にはなかったんです。
さらには別の時でしたが、学校の先生から手紙が来て、
「他の日本人の子どもたちが持っているように電子辞書を持たせてはどうか」と言ってきました。何万円もする電子辞書です。子ども一人ひとりにそんなものを持たせる余裕はありませんし、私は個人的に子どもに電子辞書はあまりふさわしくないように思っていました。
本当に必要なものであれば無理もしたのですが、電子辞書の内容は小学生が使いこなせるレベルではない(漢字や語彙)ことも知っていたので、オットと相談して、先生に私たちの家庭の方針を伝えました。でもその先生は
「日本人はみんな持っていてとても便利みたいだからブーも持ったら良いのじゃないかと思ったのだけど」と言っただけで、私たちの考えを理解してくれたようには思えませんでした。
とにかく私はこの学校には期待できない、という不信感のようなものを持ってしまいました。学校のレベルは確かに高かったのですが、それには、州の統一テストからは英語に不自由な外国人の生徒を外したり、徹底的に良い教師を集めたり、というエリート意識のなせる小技のようなものも見えてしまったのです。そこでは私たちはいつまでも
「お客さん」扱いなのかな、と感じました。
また、「同じ日本人」と見られる立場の違う人々とのおつき合いもちょっと大変になってきました。
日本人母の会での集まりがあると、どうも様子が違うのです。
「○○さんは来て2ヶ月だからまだ車が運転できないので大変よねー」というような世界なのです。私は初めてアメリカに来て翌日にはオットを会社へ送っていくためにハイウェイを運転しなければなりませんでした。
また、我が家は電気やガス、電話を引いたり、車を借りたり、保険に入ったりするその一つ一つが手探りで本当にもう思い出そうとしても思い出せないほど目まぐるしい日々を過ごし、やっと落ち着いたころだったのですが、「来たばかり」という日本人の方に「大変ですね」と言ったところ、きょとんとされてしまいました。住むところも、電気もガスも電話も何もかも会社がすべて手配してくれて、
「困ったことと言えば何もすることがないことくらい」とおっしゃっていたのです。
ひがんでも仕方ないし、そういう人にもまた私たちとは違った大変さがあるのだろうとは思いつつ…あまりの違いにショックを受けてしまいました。
もちろんいろんな方がいらっしゃったのでしょうが、最初の頃に接したその世界におののいてしまい、我が家は別の学区への引っ越しを検討しはじめました…。
(
つづきます)
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