高橋さんて、
やっぱりすごい人だったと思います。
大きい資本ではなくて
30歳そこそこの、
独身の(当時)若いパン職人が
一人で、大量の小麦を北海道から買い付けて
それを加工したり、保存したり、
そしてパンにするまで、
誰の真似でもなく、
しかもあの場所で、
普通のパン屋さんの開業とは桁違いのお金も突っ込んで・・・。
ブノワトンの成功を見て
お金のある会社がまねするのなら、
やるかもしれないけど・・・。
考えただけで、店主はびびってしまいます。
高橋さんを偲ぶ会が開かれたとき
そうそうたるパン屋さんたちが集まって
高橋さんについて、スピーチをされたのですが
いつも、うちのシェフから話を聞いたり
実際にお会いしたりしたときの高橋さんが
どうにも思い浮かばずに困りました。
それぞれに、立場や距離によっても
見えている姿が違うのは、当たり前かもしれません。
ここぞとばかりに、名刺交換をしまくっている人までいて
ますます重い気持ちになりました。
その中で、コックコート姿で
パンを出している
最後まで、ブノワトンに残ったスタッフたちと
奥様と、お母様とお話できたとき、
やっと、高橋さんの姿が浮かんできました。
シェフもこの人達と、高橋さんを偲べたらいいのにな。
と、店主はぼんやり思いました。
2年も経ってしまったけど
その機会が、8/2(火)の、「麦師」でのイベントだと思います。
(あ、お母様はいらっしゃらないと思いますが)
シェフは
「ブノワトンにいたときは、『こんなにうまいパン無い』と思って焼いてた」
と言います。
でも、シェフがいたのは
開店1ヶ月たった頃から、
ブレイク直前までのブノワトン。
多分、皆さんがご存知のブノワトンとは、
イメージが違うかもしれません。
ハード系ばっかりで、
惣菜系はほとんどなかったその頃のブノワトン。
自分の中にやりたいことがいっぱいあって
よその店とか、全く興味もなかった高橋さん。
すごくうまいのに、あっという間にやめちゃって、
あとで高橋さんに聞いても、
「あれ?そんなパンやってたっけ?良く覚えてるね、亀さん!」
とか。
俺、亀さんのおかげで結婚できたんだよ〜!
と、恩に着つつのろける高橋さん。
毎年、スタッフたちのために食事会やバーベキューを催しては
私たちも呼んでくださって、
スタッフたちを、紹介してくださった高橋さん。
最初の頃は、ずいぶんキツくて、
人の入れ替わりも激しかったけど
最後の頃は、良いスタッフに恵まれ
長く続いた人達が多くなり
きっと、安心して託していかれたのだと思います。
いつも新しいことに挑戦され続けた高橋さんのブノワトンなので
歴代スタッフも
在籍した時期によって、
また、高橋さんとの関係によって、
受け取ったものも違うことでしょう。
それぞれのお店は
きっとそれぞれのパンを作っているのだと思います。
高橋さんが亡くなってから、
しばらくたった「麦師」に行ったとき
少し心配しながら食べたパンが、おいしくて・・・!!
正直、生前よりおいしかったかも!?
シェフも
「大事なことは、ちゃんと伝わっているんだな・・・」
とつぶやきました。
大事なこと・・・
高橋さんのパンは、すごく変わって見えても
基本的なこと、
しっかり発酵とって、しっかり火を入れる、
ということには忠実なのです。
これ、最近では結構貴重です!!
「亡くなる前に、
川中さん(プティタプティ)と亀山さんを呼びましょうかって聞いたんだけど
あいつらは、もう、自分の店をもって、
忙しいんだから、余計な心配かけるなって・・・」
と奥様からお聞きしました。
そんな高橋さんが、
このイベントを見たら
「おまえら、自分の店はどうしたんだよ」
って、あきれながら、笑ってくれるかな・・・。
・・・ながながとすみません、
書きたいことと想いが渦巻いてしまって・・・
まとまりがなくなってしまいました。
でも、なんとか、イベントまでに書きたかったのです。
2年前のあのときには、
とうとう、書けなかったので。
読んでくださって、ありがとうございました。
お近くのお客様には
「ブノワトン?臨時休業?」
関係ない話で
ご迷惑おかけして、申し訳ありません。
こんなことで、お休みさせていただきます。
よろしくお願いします。
「麦師」イベントについてはこちらをご覧ください

12