2019/4/21

パリジャンとパリジェンヌ  

昨日は、いつもより早く仕事が終わった。
けれど、別件の仕事でちょっとめんどくさいことがあって、そのまま家に帰るのもなんだか癪だったので、帰り道にある一軒のレストランで夕飯を食べることにした。

久しぶりの外食だ。

金曜日ではあったものの、お店に着いたのが18:30頃だったので、待つこともなくスムーズに席まで案内された。

欧米から旅行でやってきたであろう老夫婦の隣の席だった。

店員は他の客にするとの同様の流れで僕にメニューを渡すけれど、僕がこの店で注文するのは、決まってその店1番人気のハンバーグステーキなので、メニューは開かずに、「ハンバーグステーキとライスをください」とその店員に告げる。

店員は「少々お待ちください」と、これまた毎日言っているであろう台詞を残して去っていく。

それからしばらくは「待ち」の時間だ。

隣の席に目をやると、老夫婦は既に食事を終えたのか、机の上には空になったデザートのお皿とワイングラスが2つあるだけだった。
「夕食早いなぁ」なんて、どうでもいい感想が僕の頭の中に沸き起こってくる。

聴こえてくる会話に耳を傾けると、言葉のイントネーションからして、どうやら二人はフランス人らしいことがわかった。 けれど、フランス語なんて、大学生のときにちょこっとだけかじっただけだったから、話の内容は全くわからなかった。

ノートルダム大聖堂の火事。
あのニュースを耳にしたとき、なんとも言えない寂しさと同時に、六年前に大聖堂を訪れた時の記憶が蘇ってきたっけ。

そうやって思いを巡らせているうちに、それなりの時間が経過したのか、さっきとは別の店員が「お待たせいたしました」と言って、熱々の鉄板とライスを持ってきた。

ナイフとフォークを手にして、目の前に置かれたできたてのハンバーグを食べようとしたとき、隣の老夫婦の視線が僕の手元に集まっていることに気づく。

ハンバーグはホイル焼きにされていて、アルミホイルが蒸気で大きく膨れあがっているので、外から見ると、まるで僕が巨大なアルミホイルの塊を食べようとしているようにも見える。だから、二人が視線を奪われるのも無理はない。

二人の視線に気づいた僕は、「どうも」という意味をこめて微笑みかける。
よく欧米の人は出会い頭に目が合うと、たとえ知らない人であっても微笑みかけると思うのだけど、このときの僕はそれと同じノリで微笑みかけた。

すると、その非言語的なコミュニケーションによって、こいつは話しかけられるやつだと思われたのか、

「どうやって食べるんだ?中に何が入っているんだ?」

と、Monsieurが興味深々で僕に問いかける。
とっさのことで、僕はどう答えていいかも分からず、とりあえずアルミホイルを切り開いて中を見せる。
中にはたっぷりのデミグラスソースのかかったハンバーグが、でんと腰を下ろしていた。美味しそうだ。

Monsieurは、続けざまに

「肉か(La viande?)?」

と言うので、僕は思わず "Oui, oui!" とフランス語で返事をすると、今度は、こいつはフランス語が喋れるぞ!と思われたのか、「何の肉だ?」「どこの肉だ?」など、矢継ぎ早に語りかけてくる。

言葉の通じない国で、自国の言葉を理解する人に出会えた時の喜びと安心がいかほどかということは、僕も体験的によくわかるので、まぁ無理もないよなぁなんて思いながらも、語られる内容のほとんどを理解できないので、どうしようかなぁとも思いながら、とりあえず必死にMonsieurの言葉に耳を傾けていた。

すると、Madameの方が少しずつ英語を織り交ぜて話してくれるようになった。
僕も、ちょっと話の内容がわかったということもあって、ノートルダムの火事に心を痛めたことや、六年前に二週間ほどフランスに行ったことなど、拙い英語となけなしのフランス語を織り交ぜながら話してみる。

少しずつ会話が広がっていく。
ハンバーグは未だ僕の前に居座ったままだ。

それから数分、なんとも言えない楽しい時間が流れた。
二人は、「冷めちゃうから、私たちに気にせず食べなさい」と言うものの、どんどんと話しかけてくる。
彼らも2週間ほど日本を訪れているようで、東京に行った後、ここに来たらしい。

「この辺で刺身を食べられる店はないか?」

会話も終盤に差し掛かったとき、こう問われた。
けれど、刺身の美味しい店なんて知らないし、そもそも近くに海のないこの土地でおいしい刺身を食べること自体に無理があるよなぁと思いながらも、Google先生の力を借りて、適当に近くにあった店を教える。

「ここに書いてくれ」

そういって、Monsieurがボールペンと紙を僕に手渡す。

「ありがとう。行ってみるよ」

店の名前と簡単な地図を書いて渡すと、こう返ってきた。
こちらは行ったこともない店を適当に教えただけなのだけど(よく考えると、相当失礼なことをしてると思うのだけど)、なぜだか二人にはやけに気に入られたようだった。


「それじゃぁ、私たちはそろそろ行くけど、また今度はパリで会いましょう」
「冷えちゃうから、早く食べなさい」

そういうと、彼らは席を立つ。

別れ際に、メールアドレスを聞かれたので、お互いの連絡先を交換する。
なぜだろう、全く抵抗がなかった。

ついさっきまでは、仕事へのイライラを感じていたはずなのに、彼らが去ったあと、パリに行ったら何をしようか、と考える自分がそこにいた。

人間の気持ちとは不思議なものだ。


ひょんなことから、また一つ、僕の向かうべき場所が増えた。
今度はどこの航空会社で飛ぼうかしら。


目の前に優雅に居座るハンバーグは、まさに食べ頃の温度になっていた。

0

2019/3/24

新居  

 引越しが完了して、およそひと月が経とうとしている。

 今日はとある会に出席して、お昼からお酒を飲むという、ここ最近ではまれにみる良い日曜日を過ごすことができて気分が良い。だから、久しぶりに文章を書こうと思う。
 ただ、少しお酒も残っているので、酔いのせいか、文章も少々キザである。

 最初にも言ったように、引越ししてまだひと月足らずなので、正直まだ今の家には慣れない。それは、家の雰囲気もそうなのだけれど、生活リズムそのものもそうなのである。
 というか、そちらの方が大きい。

 具体的に言うと、例えば、これまでは大学まで自転車で10分の距離に住んでいたけれど、今度は電車を乗り継いで45分の距離だ。大学まで行くのにも一苦労である。
 小中高大を通じて初めての電車通学(通勤)なので、これまで電車通学していた人たちの苦労を体験し、頭が上がらない。
 今では朝のミーティングの辛さが身に染みてよくわかる。今さら、だけど。

 思えば、今まで9年間同じところに住んでいたので、だいたいのことはもはや身体で覚えていた。電車の時間、バスの時間、お店の場所や時間、その地域の人たちの動きなど。
 だから例えば、寝坊した日があれば、瞬時にどうすれば一番最速で目的地に到着できるのかも分かった。毎年、いつどの時期にどういうイベントがあるのかも知っていた。

 しかし、今は違う。どこに行くにもいちいちスマホで調べなければならない。毎日である。たとえ寝坊していなくても。
 寝坊した日には、それはもう地獄である。

 コンビニやお店だって、まだ何がどこにあるのかがよくわかっていないから、欲しいものが一体どこで買えるのかさえもあまりよくわかっていない。
 とりあえず、駅の近くにあるスーパーとコンビニに通う毎日である。

 以前の場所では、ありがたいことに多少のご近所付き合いもあった。
 今は当然ない。
 だいたい隣のふた部屋は未だ未入居なので、付き合おうにも付き合えないのだけれど。

 こうやって振り返ってみると、それだけこれまで住んでいた地に自分が馴染んでいたんだなぁと思う。なかなかに感慨深い。


 そんな感傷に浸ったところで今は今の家に住んでいるので、またここから生活リズムをはじめ、色々なものを一から作って行かなければならないのだけど。

 けれど、それってとてもエネルギーがいる。ちょっと億劫でもある。
 新しいことが始まるとき、新しいことを始めるときのエネルギーというのははかりしれない。そのことを思うと、進学や就職する人たちの大変さは想像に難くない。
 こんなことで億劫だ、なんて言わずに、地道にやっていこうと思う。
 

 表現こそきざだけれど、大したことないことをつらつらと書き記してしまった。まぁいいでしょう。そもそもブログなんてそういうものだと思うから。 

 とにかく、今日も明日の朝のミーティングに備えて、電車の時間を調べてから寝ることにしよう。ほろ酔い気分のままで。

 寝坊しませんように…。
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ