
秋の日の染み渡るような美しさとメランコリーは、モーツァルトの音楽にも似ていはしないだろうか?
あの切なくも甘いメロディー。
胸を締め付ける和声。
秋は、力無く透き通った日差しと、宇宙が透けて見えるかと思えるほど奥深く澄み渡った大気、ほの暗いほど深い空の碧。そして錦に燃え上がる山々、力無く愛の残り火を歌う虫たち、気の早い霜に晒された草紅葉と秋草の花々。
爽やかな風が吹き抜ける尾根道を歩いていると、不意に落ちてくる栗の実の音に驚かされたりする。
秋はまた、マーラーの未完の交響曲10番にも似ている気がする。
あの恐るべき人生への愛着、いや、むしろ執着と言った方がふさわしい音楽。
どんなに愛していても避けられない決別の時を歌っているような気がする。
なにものをも象徴しないものこそが永遠を指し示すという、西脇順三郎の顰みにならって、僕もまたこの秋の一時に見つけた、なにものをも象徴しない道ばたの眺めをあげつらっていこうかと思う。

そしてまた、唐突なのを承知の上での引用を。