気ままニュース151

水に映る文明の灯
偽りの自然回帰
小さな国の小さな展示。
ささやかな形を通して、精神世界の連関を示す。
そんな展示が印象的でした。
それにしても、先進各国の精神世界の衰退には目を覆うものがありますね。金ばかり掛けて、その内容の空疎さには驚かされました。こんなにも、生き方や参加姿勢の開きがあからさまになってしまって、色々考えさせられましたね。
会場全体の印象はと言えば、巨大な偽善の砂漠の中にちりばめられた、ケシ粒のように小さくてたくさんある善意の種子たちと言ったところ。小つぶだけれど、信念の核を感じさせてくれます。これこそ、この巨大なギャップこそ、今の、地球規模と称される環境問題への取り組みの形なんでしょうかね。
種子たちは、まだ、一つの力に、巨大な森になることを知らない。いや、一つにならなくても、宝石のような善意の種子がここから飛ばされていって、世界を覆いつくすようになればとも思いました。
僕も、その一粒になろうと思います。

それにしてもまぁ、大半の施設が生身の人間が利用するという側面を無視して造られているのには、いつもながらあきれさせられます。巨大な施設にトイレが1つ。それも、個室がたった1つだったりするのは、どうして改善できないんでしょうかねぇ?
現代科学の粋をしても、利用者の便を図ると言うことは困難を極めるという国。
リニモが早いと言ったって、閉場2時間前に外へ出ても、駅前に並ぶこと2時間とか。
ま、そんなことはこの際どうでも良いです。
軍事費のために福祉が削られる世の中ですから。

ウスボン(芽生え): 自然に発生した行動、
純粋なる喜びの瞬間
有刺鉄線でつくられた輪、
それは多くの群衆が色とりどりの
穀物に
なぞらえられた
1986年の大事件
ピープルパワーの象徴になった。
キリスト教で題材とされる"いばらの冠"による受難を
示しているかのような有刺鉄線で作られた輪
(フィリピン館の展示解説からそのまま引用)

椰子殻で作った巨大な塊。
手仕事による有機的なデザイン。
内側は、つややかなサイザルアサ繊維の毛足が心地よいマットを敷きつめた、リラクゼーションルームになっている。
胎児の安らぎ?

美しいローマの噴水たちの記憶
流れのたゆたいのさざめきの噴水の飛沫の煌めきの揺らめきの流れる夢は果てしなく彷徨う
なんてね
ジョルジョ・デ・キリコと言えば、形而上絵画。
こんな作品も作ってたんですね。
ロッシーニの「オテロ」のための、デスモーナの衣装(1964)。
彼の絵画は、パントマイムでもあったのだから、驚くには足らないのかも知れないけれど。
最後に入ったトルコ館は、もう大感激でした。
タイトルは「自然の幾何学」。
イスラムの模様に含まれているパターンが、
自然界の様々な形の中にどんな風に隠されているか、
モーフィングで次々と変容する画面を見せてくれます。

貝殻の螺旋からフラクタルに変わる瞬間
●大宇宙の基礎にある秘密はフラクタルを通して理解できます。少量で不要だと思われる情報から出発し、巨大な謎を生み出すこともできます。

●自然界の全ての規則や知識は、人間がそれを発見する前からも存在していました。科学は、まだ知られていなかったこれらの規則や知識を学問的方法や範囲に限ってのみ発見し、明らかにするものです。いいかえれば、科学は何かを無から創造するのではなく、すでにあるものの性質や特徴を発見する道具なのです。
●すべてをポケットに入れることはできません。なぜなら、ポケットもすべての一部分に過ぎないからです。すべてのなかにおいてポケットの空間が存在するのです。
(トルコ館入り口の説明から抜粋)