重森三玲が、どうしてここまで徹底的に枯山水から植物を排除せざるを得なかったのか、その訳なんてのを確認したくて京都までのこのこ出掛けていったのは、去年の秋も終わり頃だった。
その時は、こんな事を書いたっけ。
石庭の石は、じっと見ていると、大きな山のようでもあり島のようでもあり、何となくスケール感が曖昧になるってところがミソで、そのことを利用して自然の縮図を再構成して表現するためには、ハッキリした枝ぶりの木立や草花など、具体的なサイズと形態を持った植物が邪魔になる。
だから、石と砂と苔、あるいは刈り込みといったスケール感を曖昧にする素材だけを意図的に残して、大自然を象徴した。

今風に言えば、石、岩、山と言った自己相似関係、つまりフラクタル性を効果的に見せるためには、サイズに依存する形が邪魔になるのだと言うこと。

重森三玲や江戸時代の石庭、枯山水を見て回って、
石と砂の描き出す抽象美への到達が、必然的に植物を排除していったことを改めて確認できた。
ってなことだったと思う。

で、今日はもう少し違った角度から、石庭を眺めてみようと思うのだ。
たとえばなぜ、
重森三玲が草木を排除し石と砂を採ったのか?を。
重森三玲の息子
重森三明が、彼のサイトでこんな事を書いている。
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枯山水の石庭を連想すると、石組みと「禅寺」を簡単に結びつけるが、日本庭園の始まりはもっと古く、古代にまでさかのぼる。元来、日本古来の山岳信仰と大陸思想の影響、更に古墳文化や浄土思想などが混ざりあいながらその時々の「庭」を形成していった。
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彼はこんな風にも書いている。
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「元来、日本庭園の石組みの起源は磐座や磐境と呼ばれる古代の巨石(群)であり、よく神社の御神体になっている。庭園史において、石組みは古代中国の神仙蓬莱思想という、仙人が住み不老不死の薬が存在するという島を表したり、三尊石で仏の姿を表現した。」
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つまり、庭に石を据えると言う行為の起源は、遠く神話の世界に根ざしていると言えそうだ。
そう言えば、民間の庭に白州を初めて持ち込んだのも重森三玲なんだそうな。
白州も、本来神社で見られる神の憑代・依代(よりしろ)、ハレの場のものであってケである日常生活が繰り広げられる民家の庭に造られるような性質のものではなかったのだとか。
永遠を見つめるにはこれ以上ピッタリした装置はないのかも知れない。
で、やっと神話である。
まず登場してもらうのは、
天邇岐志国邇岐志天津日高日番能邇邇藝命(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)。
寿限無ばりに長いので、慣例に従って「ホノニニギノミコト」と呼ぼう。
「ニギニギの命」ではない、念のため。
それから二人の女性、
石長比売(イワナガヒメ)と
木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)。

『古事記』神代上巻から、あの有名な下りを読んでみましょう。
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ホノニニギノミコトは、海辺で美しい乙女にお遭いになった。
「お前は誰の娘か。」とお尋ねあそばれると「私は大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名を木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)と申します」とお答えした。「お前には姉妹がおるか。」とさらにお尋ねあそばされると、「姉に石長比売(イワナガヒメ)がおります。」とお答え申した。そこで、ホノニニギノミコトは「お前を娶りたいと思うが、どうか。」とお尋ね遊ばれると「私はお答えいたしまねます。父のオオヤマツミノカミが申しましょう。」とお答えした。
そこで父のオオヤマツミノカミに、乙女を乞い受けに使いを遣わすと、父神は大喜びで姉のイワナガヒメを副え、多くの結納の品々と共に、ホノニニギノミコトに奉じた。

ところがホノニニギノミコトは姉のイワナガヒメがたいそう醜かったので、これを送り返し、妹のコノハナサクヤビメだけを留めて一夜を過ごされた。
オオヤマツミノカミはホノニニギノミコトがイワナガヒメを返された事をいたく恥じて「二人の娘を並べて奉じたのは、イワナガヒメをお側に使えば、天つ神の御命が、たとえ雪や風の中にあっても石のごとく常に堅く動かずにおいで遊ばれるように、またコノハナサクヤビメをお側にお使いなら、木の花が栄えるごとくお栄え遊ばれるようにと、誓いを立ててのことであった。ところがイワナガヒメをお返し遊ばれ、コノハナサクヤビメをお留めしたということは、天つ神の御命は、木の花のようにもろくはかないものとなってしまうでしょう」と申した。
このようなわけで、代々の天皇家の御命や人間の寿命は長くないという。
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さて、ここで、中沢新一の「カイエ・ソバージュ1 人類最古の哲学」から、ちょっと引用してみましょう。
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妹のサクヤヒメは世にも美しい美女であったのに、姉のイワナガヒメのほうは大変醜い容貌をしていたので天孫(ホノニニギノミコト)は妹だけをめとり、姉を退けてしまいます。侮辱された父親はニニギに呪いのことばを浴びせます。「あなたはなんという愚かなことをしたものだ。妹は美しい花を咲かせる植物のように、生まれて咲き誇り、そしてはらはらと散っていく有限の運命を与えてくれるだろう。しかしそれだけではものたりないと思ったからこそ、私は岩石のように朽ち果てることのない永遠の生命をあなたに贈ろうと考えて、姉のイワナガヒメをも与えようとしたのに、あなたはそちらを拒否した。よろしい。以後あなたの子孫には死というものがもたらされて、長い生命を楽しむことができなくなるだろう」。

ここでは、植物(コノハナサクヤヒメ)と岩石(イワナガヒメ)の対立によって、死の起源が語られています。一見して美しいものにひかれるのは人の常です。人間はエロスにひかれるのです。ところがエロスははかないもので、美しく咲いたかと思うと、あっという間にタナトス(死)の手に渡されて、それに飲み込まれていってしまいます。それならば最初からタナトスと手を結んでいればよいと思われますが、タナトスは恐るべきカオスの領域からやってきますから、なかなかそれと結婚して一体になるなどということが、人間にはできないのです。私たち誰もが、ニニギノミコトのようにイワナガヒメを遠ざけていたいと願うもの。でもそのために、人間には短い生命しか与えられないのだと、この神話は語っています。
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ホノニニギノミコトは稲作の神様。だから彼が稲作のはじめの時期を知らせる桜の化身だと言われるコノハナサクヤヒメを選んだというのも当然の運び。
けれど、もうおわかりだとは思いますが、今回のお話しで重要なのはイワナガヒメの方なのだ。

重森三玲は「永遠のモダン」と言う言葉をよく使っていたようですが、永遠を手に入れるために移ろいやすい植物を相手にしているよりも石を中心に据えた方が効果的と考えたのは、余りにも当然なことのように思えます。
だから、永遠の生命を手に入れるために、彼は彼の庭から植物(コノハナサクヤヒメ)を脇へ押しやってしまい、中心に岩石(イワナガヒメ)を招き入れたのだと考えてみるのも、面白いのではないかなんて思うのですよ。

三玲は永遠を手に入れるために岩石(イワナガヒメ)と手を結ぶが、岩石は本来無生物で、はじめから生命を持っていない、つまり本質的には死の領域のもので、タナトス(死)が所属する恐るべきカオスの領域からやって来た死そのものではないのかしらん?
あらかじめ儚いエロスである植物(コノハナサクヤヒメ)の生を追放することが、永遠に存在し続けるための条件だとすると、何とも妙な話ではある。

ところで、今風に考えると
カオス(混沌)と呼ばれる物理的様相は、宇宙の有り様は言うまでもなく生態系の中にも色濃くその影を落としている。いや、むしろカオスなしに生態系(複雑系)の動的な安定は考えられません。
混沌に目鼻を描き入れると死んでしまうという中国の故事通り、野生生物や生態系の揺らぎを人為で制限してしまうと本来の性質を失うだけでなく絶滅へと向かってしまうことさえ有る。
古典的な科学は、故意に
カオスを無視し続けてきた様にも見える。
と言うか、扱いきれなかったのでカオス的振る舞いを誤差項に押し込めて処理してきていたんだよね。
僕はビオトープガーデンというコンセプトの中で、生態系というカオス的揺らぎを定常的に庭に取り込もうとして石と植物を使うけれど、この場合の石はカオスが野放図になり過ぎないように、やんわりとコントロールする要石の役割を果たしている。
低い石組みや生垣で境界を際だたせると言ったようなイングリッシュガーデンの一手法などの利用で、庭にまとまりと造形美を保ち続けさせるだけでなく、
生態的なギャップの多様性を維持したりもちろん同時に
エコスタックとしての機能も持たせているのだ。

ホノニニギノミコトの失敗から、コノハナサクヤヒメだけでなくイワナガヒメにもとどまってもらうのが、人と自然が手に手を取り合って生きていくためにはぜひ必要なことだと学んだと思うからね。