福島県相馬市の松川浦に泊まった翌朝、港の方へ散歩に出かけました。
漁に出ている漁船はありません。
津波から船を守ったものの、放射能汚染の被害にあってしまったのです。
漁に出る前に必ず寄るという神社に登ってみました。
目の前にある水産加工所は築2ヵ月で被災。
沖にある人工の砂州に植えた松は多くが根こそぎ倒木。
通行止めになっている橋を渡ってみることにしました。
津波の押し寄せた跡が良く分かります。
宿を早く出たいちじんさんは、もう橋を渡りきり灯台の方へ向かっています。
しばらくして電話がありました。
トンネルの手前で道路は遮断されいるので引き返してくるといいます。
港にある魚市場が骨組みだけ残しています。
(相馬原釜地方卸売市場)
2階の屋根にも船が上がっていたそうです。
船や車、家屋や家財など様々なものが散乱していたのでしょう。
公園だったところです。
橋の直ぐ下まで津波が押し寄せ、公園のトイレはメチャメチャ。
このあたりは卸売市場に集まる漁船で賑わったことでしょう。
静けさだけが残ってしまいました。

(photo by いちじん)
散歩している人と話ができました。
彼女の自宅は1階部分が津波の被害にあったそうです。
一年前に1階部分をリフォームしたばかりなのに。
そのうえ、息子さんの新車を流されてしまったとか。
それでも2階に上がって助かったそうです。
避難所や仮設住宅暮らしをしながら1階を改築し
今年正月から住めるようになりました。
しかし、まだまだ避難所暮らしの人がいるそうです。
ご主人は漁師。
津波が来ると知り湾内にあった船を沖に出しました。
これを「沖出し」といいます。
船が陸に叩きつけられ破壊されてしまうのを守るためです。
沖に出たものの、余震や余波、それに瓦礫が妨げになり港に戻れません。
3日間漂流していたそうです。
船を出すのが遅れ、津波に飲み込まれて命を落とした仲間もいるといいます。
私は「沖出し」の意味が良く分かりませんでした。
船を守るためにそんな危険を冒すのでしょうか。
ネットで調べてみると
「沖出し」の是非を問う記事がありました。
「民家の被害はそれほどなかったのですか」
「いえ、そんなことありませんよ。向こうの家は殆ど流されました」
見るとまっさらになってしまった住宅地があります。
橋を渡ってくるときには気づきませんでした。
自然が豊かで風光明媚な松川浦。
あの日を境に人々の暮らしがすっかり変わってしまいました。
あれから一年。
まだまだ復旧は進んでいません。