先日、わずか46歳という若さで物故してしまった今敏の、現在のところ最新作である。原作は筒井康隆の幻想小説で、過去に一度、萩原玲二の手で漫画化されたことがあるが、映像化のあまりの難しさからか、連載は未完のまま打ち切られてしまった(後に萩原自身の手で完結編が付け足され、英知出版から完全コミカライズ版として出版された)この一筋縄ではいかない原作を、凝った映像表現では定評のある今敏がどう料理するか、楽しみだったのだが・・・。
正直に言ってしまえば、意欲は買うものの、原作の持つカオス的な部分を大幅に削除して、無理やり理路整然とした「お話」に作り変えてしまった感は否めない。
一口に言うのは難しいが、全体に作りが軽くなっているというか、難解な表現をできるだけ避けたために、原作の持つ深みがそっくりスポイルされてしまっているのだ。たとえば、冒頭からメインキャラとして登場する刑事・粉川は、原作では警視庁キャリア組のエリートだが、さほど重要な役ではなく、本編ではその友人能勢のエピソードが彼のものとして語られる。作中で描かれた能勢のトラウマも、こんな単純なものではなかった。もっとも、彼のトラウマの話だけでも、きちんと描けば本編の上映時間を越えてしまうのは確実なので、この種の省略はやむをえないものだとは思うが・・・。
以下ネタバレあり、まだ観てない人は読まないように
いちばん困ってしまったのは、夢と現実の描き分けがちゃんとなされていないことである。もちろん、現実だと思っていたものがDCミニ(本編に登場する他人と夢を分かち合うガジェット)によって脳内にインプットされた幻影であった、などという描写もあるので、現実のようにしか見えない夢はつまるところ現実のようにしか描けない、という限界があるのは承知しているのだが、そのため、物語の後半で狂人の夢が現実世界を侵食し始める描写が、観客にほとんどインパクトを与えないのだ。なにしろ物語の前半で同様の光景を、すでに「夢」の映像として見てしまっているのだから。
ここはやはり「お約束」として、夢の中の画像と現実との質感を変えて表現するとか、立体感や彩色に工夫するとかして差別化を計るべきだっただろう。たとえば、夢の中のカエルや冷蔵庫の行進を昔のフライシャーのアニメみたいな雰囲気で描き、同じものが現実を侵食してきた時には硬質なCG風の画像処理をするとかして、「夢との境界を突き破って現実世界に出現した」ことを強調するとか、手段はいろいろ考えられたはずだ。
原作のラストは、果たして世界が救われたのかよく判らない、曖昧なものになっていたのだが、本編ではこの部分を大幅に手直しし、いわば怪獣映画の怪獣退治後の描写のごとく終わっている。ここまで改変してしまうことがはたしていいことなのかは別として、一映画作家の解釈としては成り立っていると思う。しかし、個人的にはやはりカオスのまま終ってしまった原作の方を推したい。・・・
★★★

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