「デジャヴ/トニー・スコット;2006年アメリカ映画」
映画
冒頭のフェリー爆破シーンから始まって、いかにも今風の対テロ・アクション作品のごとく滑り出すが、途中で登場する「スパイ衛星や監視カメラからのデータをCG処理して4日と6時間の過去を覗き見ることのできる装置」というガジェットが、物語を全然違う方向へと導いてしまう。
タイトルからすると、主人公ダグ・カーリン(デンゼル・ワシントン)がデジャヴのような予知能力を発揮して事件を解決する話のように思えたのだが、まったく違った。てゆーか、この設定で「デジャヴ(既視感)」という言葉はほとんど意味を成さない。デジャヴはあくまで主観的な、いわば個人的な「感覚」だが、巨大なスクリーンに映し出される「4日と6時間の過去」は、それに関わるスタッフ全員が同時に視聴しており、いわば客観的な「現象」だからだ。
フェリー爆破テロと前後して、一人の女の死体が川から上がる。女は爆発により死亡したのだが、女の死体が上がった時、フェリーはまだ爆発していなかった。この奇妙な現実に違和感を覚えたATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)捜査官ダグは、女とフェリー爆破事件の犯人との接点を捜して女の身辺を洗い始める。そんな彼を、事件担当のFBI捜査官プライズ(ヴァル・キルマー=激太り!!)はある特殊な施設へと案内する。そこにあったのが、例の「4日と6時間の過去」を見ることができる装置だったのだ。
以下ネタバレあり、まだ観てない人は読まないように
実はこの装置、当初スパイ衛星や監視カメラの膨大なデータをスパコンで再構築し、バーチャルリアリティを生成している、と説明されている(そのデータ再構築のために4日と6時間かかるというわけ)のだが、途中でそれにしては奇妙な事実に気づいたダグがスタッフに詰寄り、実は過去を覗くことのできるタイム・マシンであることが暴露される。ここから物語は「24」風のカウンター・テロ・フィクションから一気にSFへとシフトしてしまう。過去を覗くことと、その過去に物を送ることとはまったく次元の異なる話なのだが、その辺はあっさりスルーし、話は「過去を改変する」という、タイムトラベルものではお馴染みのテーマに路線変更^^;
しかし、この「過去の改変」、残念ながらあまり理詰めなシナリオではないため、随所に突っ込みどころが散見されるのが残念なところ。冒頭、お話のヒロインとなるクレア(ポーラ・パットン)が死体となって登場しているのに、過去が改変され、彼女が生存していなければありえない状況(たとえば彼女本人からダグの勤務先に電話がかかってきたり、クレアのアパートにダグの傷の手当をしたときの血痕が残されていたり)も平行して描写される。一体どの時点からの過去が改変されたのか、その影響で「現在」も変化しているのなら、すでにクレアが死んでいたという事実は「なかったこと」にされているはずなのに、物語はあくまでクレアがすでに死亡しているものとして展開していく。
主人公が過去に戻り、死ぬ運命にあったヒロインを救出してみずからは消滅する(でないと同一人物が二人存在するというパラドックスが残ってしまう)という結末は、この手のSFとしてはかなりオーソドックスな部類に入り、前半の展開に比べて、ちょっと凡庸な終り方になってしまった。SFとは制約があるからこそ面白くできるジャンルであり、なんでもありにしてしまったら、結局のところいちばん安易な方法を選択せざるを得なくなり、話の陳腐さは約束されたようなものだ。今回の話でいえば、やはり過去に直接ものを送り込むのはアイデアとして最低だと思う。
ものではなくて、情報を送り込むことならこの映画の設定では不可能ではない。過去のクレアは、現在のダグがモニター越しに照らしたレーザーポインターの光に反応した。つまり、通信手段が確保できる、ということを意味しているシーンだったのだ。これを基礎にして過去を改変する話にしたほうが、少なくともSFとしては面白いものになったはずだ。もっとも、そうした知的エンターテインメントが製作者ジェリー・ブラッカイマーのお気に召すとは思えないが^^;
兄リドリーと並んで、当代きっての映像派と目されるトニー・スコットらしい絵作りは今回も健在。いかにもデジタルな「4日と6時間」前の映像表現も、それらしい雰囲気は出ていた。それだけに、もう少しタイム・パラドックスに留意した、ツッコミどころの少ない脚本が書けなかったものか、残念なところだ。・・・
★★★

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