マンガ界では才人だった大友も、所詮映画界では「ただの人」なのか、と思ってしまう仕上がり。原作およびアニメに関しては手放しで絶賛した僕だが、本編に関しては疑問符を献上せざるを得ない。
抑えた色調、わざとらしくないCGなど買える部分もなくはないが、どうも違和感が付きまとう。飄々としたギンコのキャラクターにオダギリジョーはベストの配役だと思うのだが、それでもつきまとう「違う」感じは一体なんだったのだろう。
物語は、原作第15話「眇の魚」と第7話「筆の海」をベースに、「柔らかい角」「雨が来る虹がたつ」などのエピソードをちりばめて一本の物語にしている。「眇の魚」はギンコの生い立ちについての話なので、映画化のベースとして選ばれるのは当然だろうが、残念ながら他のエピソードとのつながりがうまくなく、終盤、淡幽(蒼井優)を救うため常闇に侵され、生気を失ったまま旅に出たギンコの驚異的なリハビリ速度など、尺の都合でそうなったとしか思えない展開も気になった。
クライマックスは唐突に訪れる虹蛇との遭遇だが、ここの色調は抑えすぎ。まるで退色してしまった古い写真の中の虹のようで、現実の虹の持つ華やかさがまったく出ておらず、こんなもののために虹郎(大森南朋)は人生を賭けてしまったのか、と思ってしまう。ここはやはり、目もくらむほどの鮮やかな色彩が欲しいところだった。
明らかに蛇足なのが「眇の魚」で描かれなかった、女蟲師ぬい(江角マキコ)のその後のエピソード。盲いた老婆になっていたぬいを救済したのか抹消したのか、映像の意図がよくわからなかったし、歩きながら透明人間(笑)へと変身していくギンコも意味不明。話の収拾がつかなくなって、放り出したような印象しか残らない。せっかくの素材をこんな風にしか料理できなかった大友に、やはり映画監督の才は最初から欠けていたのだろう。・・・
★★

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