突然の脳内出血により体の自由を奪われ、左目以外まったく動かせなくなってしまった男の自伝を映画化した作品。
なぜ片方の目しか動かせない男が本を書くことができたのか、という疑問に丁寧に答える前半は、ほぼ完全に一人称、つまり主人公の視点のみの映像をたよりに物語ってゆく。このあたりの撮影テクニックはかなり斬新で、ベテラン撮影監督ヤヌス・カミンスキーの面目躍如という感じだ。ちょっとセクシーな女性療法士がアルファベット(普通のABC順ではなく、使用頻度の高い順にe、s、a、r、i…と続く)を読み上げるシーンが印象的だ。
そのまま一人称描写で最後まで描ききれなかったのか、という恨みも若干残るものの、主人公の回想から一般的な三人称描写に自然に入っていく展開は見事だったと思う。どう考えても一人称描写だけでは演出に無理が生じ、不自然さを免れなくなるからだ。
似た設定の映画としては、ダルトン・トランボの「
ジョニーは戦場へ行った」が想起されるが、肉体の檻に閉じ込められた精神、という部分は似ているものの、反戦的要素がその上に盛り付けられたトランボ作品に比べ、本編は徹頭徹尾個人的な物語に終始している分、かえって切実に感じられた。戦争に行ってジョニーのような状況に陥ることは、今の日本ではまずないが、事故や病気で本編の主人公ジャン(マチュー・アマルリック)のような状態になることは十分考えられる。
タイトルの「潜水服」は原題ではLe Scaphandre、英語だとThe Diving Bell、つまり潜水球のようなものであり、多少とも手足を動かせる潜水服よりさらに自由の利かないものの象徴のようだ(もっとも映像では潜水服が登場しており、おそらく昔風の潜水球が現存しなかったのだろう)
一方の蝶はもちろん自由の象徴。現実の蝶はたくさんの天敵に囲まれ、また、その行動は100%「子孫を残す」という本能に支配されているので、傍から見るほど自由ではないのだが。
観る前はそのテーマからかなり重い作品だろうな、と思っていたのだが、もちろんそれなりの重さはあるものの、むしろ、これほどの障害を負いながらも一冊の本を上梓できる、人間という生き物の可能性への賛歌といった側面がクローズアップされていたように思う。
個人的には、主人公の父親役でマックス・フォン・シドーが出ていたことが懐かしかった。1929年生まれなのでとうに80歳を越えているのだが、本編のあとにもたくさんの作品に出演しているらしい。・・・
★★★★

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