その昔、まだ駆け出しだったころに担当編集に連れられて観に行った映画。渋滞で劇場に着くのが少し遅れたが、ちょうどジョリー・ロジャースのトムキャットが陸上基地から発進するシーンだったので、うまいことCMや予告だけ飛ばして観られたということになる。
なんといってもこの映画の売りは、ふんだんに出てくる当時の最新鋭機の発艦シーン。これだけでも
★★★★くらいの価値はある。F−14Aトムキャットだけではなく、E−2BホークアイやA−6EイントルーダーにA−7EコルセアII、F−8クルセイダーの偵察機型RF−8Gから、さらには出番はあまりなさそうなS−3Aバイキング対潜哨戒機まで、当時ニミッツに搭載されていたすべての固定翼機のカタパルト射出シーンを見ることができる。もちろんヘリコプターもSH−3Hシーキングがレスキューに人員運搬にと大活躍。いうまでもなくアメリカ海軍全面協力の国策映画というか、宣伝映画なのである。この手法は60年代に作られた、やはり空母を舞台にしたフランス映画「頭上の脅威」と同じ。あちらはUFOの襲来、対するこちらはタイムスリップと、SFネタで勝負をかけているところまで共通している。
もうひとつの共通点は、どちらの映画も安易に軍提供のPRフィルム流用でお茶を濁すことなく、かなりのこだわりをもって撮影に臨んでいたことだ。零戦に扮したT−6テキサンとトムキャットでは速度差が大きすぎ、空中戦のシーンで両機を同一のフレームに収めることはかなり難しいのだが、おそらくカメラマンの腕が超一流だったのだろう、ほぼ理想的な構図で見事に捉えていた。世評では空撮の神様、クレイ・レイシーが撮った「
トップガン」の評価が高いが、むしろこっちの方が絵も美しいし、トムキャットらしさがよく出ていたと思う。
お話の方は、最新装備を備えた軍の部隊が過去にタイムスリップし、歴史に干渉するというさんざん使いまわされたもの。この映画の少し前にも「戦国自衛隊」(1979年公開)というほぼ同様の設定の作品が撮られている。ただ、あちらが歴史に積極的に介入し、歴史の波に飲み込まれていく話なのに対し、こちらはいわば「寸止め」で現代に帰還させられてしまうあたりがちょっと違う。いよいよ盛大なドンパチが、というところで終ってしまったのは、予算的な問題もあったとは思うが(真珠湾攻撃のシーンは「
トラ!トラ!トラ!」の使いまわし^^;)破綻なく物語を終わらせるため、やむをえないことだったのかもしれない。もし帝国海軍の攻撃部隊を迎撃していたなら、あのあと一時間くらいかけても話が収まらなかっただろうし、歴史の改変という新たなテーマでシナリオを練り直さなければならなくなる。これがどれほどの難題かは、全43巻もの長さを費やした、かわぐちかいじ作「ジパング」の例を見ても判るだろう。とはいえ、せっかく両軍の大編隊が登場したのだから、やはり大空戦の序の口くらいは見せてもらいたかった、というのが正直なところ^^;
いかなる事態が起きても沈着冷静なイーランド艦長を演じたのは名優カーク・ダグラス。まさに空母の家父長というイメージそのままのキャラクターで、この映画の成功は「理想の艦長像」を演じきったダグラスの功績が大きいと思う。これだけ航空機が飛び回る映画なのに、パイロットの比重は非常に小さい。物語の核となるキャラクターの一人、オーウェンス中佐(ジェームズ・ファレンチーノ)は飛行隊長という設定だったか、飛ぶシーンはなかった(あったのかもしれないが、少なくとも判るようには撮っていなかった)しかし、下手にパイロット目線を持ってくるとかえって全体像が判りにくくなっていたかも知れず、これはこれでよかっのかも。
当人にもその目的がよく判らないまま、オブザーバーとして空母ニミッツに乗艦するラスキー(マーティン・シーン)を送り込んだ人物こそ実は、というのが本編のSF映画としてのキモだが、それならもっと重要なキーを握る人物としてラスキーを描くべきだったような気もする。物語の性格上、あまり複雑な設定は無理だっただろうが、たとえば彼のした些細なことが原因でその後の運命が変わり、その結果として・・・みたいな展開にすることは可能だったと思う。そのあたりがもう少しうまく描けていれば、たとえ大空戦がなくてもそれなりの満足感が得られたと思うのだが。・・・
★★★★

0