いろんな意味で凄い映画だと思う。技術的には文句の付けようのない完成度の一方で、物語の破綻ぶりも尋常ではない。宮崎駿ともあろう人がストーリィの整合性をここまで無視してしまうほど「壊れている」とも思えないし、やはり確信犯的な行動だったのだろう。
基本的には宮崎版「人魚姫」なのだろうが、その骨子を下敷きにしてはいるものの、ほとんど別の話。世間的には敢えて「子供向き」に作った童話的世界とみなされているようだが、個人的にはちょっと違うような気もする。
キモになるのは、海水と淡水の扱いだと思う。海辺で瓶詰めになっていたポニョを拾った宗介は、ポリバケツに水道水を満たし、その中に死にかけている(と思った)ポニョを放す。普通、海水魚を水道水の中に入れたら死んでしまうし、いくら弱冠五歳とはいえ、モールス信号を打電でき、異変後海中に出現した古代魚の学名をすらすら言えるほど博識の宗介が、そんな基本的なことを知らないはずはない。このことは一緒に観ていた甥も指摘するほど判りやすい「ミス」なのだが、あえて冒頭にこうした描写を持ってくることで、宮崎は観客に、本編がそうした「約束事」のない世界、常識的論理の通用しない世界の物語である、ということを宣言したかったのではないだろうか。
つまり、童話というよりは絵本の世界に近い話、ということだ。童話と絵本というと、ごく近いジャンルのように思われがちだが、童話は基本的に「お話」であるから、物語としての論理的整合性はある程度確保されなければならない。しかるに絵本は、意外に支離滅裂な話が多い。その破綻ぶりを救っているのが一枚の「絵」の力である。どれほどムチャクチャな話であろうと、説得力のある一枚の絵が読者を納得させてしまえばそれでオーケー。童話が右脳的なら、絵本はより左脳的なメディア、と言うことができるのかも知れない。
ひるがえってポニョだが、アニメーションとしての説得力は圧倒的だ。CGを使わず、すべて手描きにこだわったとされる波の描写はものすごい迫力だし、義経みたいに波頭をピョンピョン跳ね渡るポニョの躍動感ときたら、それだけでもう十分感動的だ。考えてみたらこの場面もストーリィ上の必然性はまったくなく(人間に限らず、記憶力のあるたいていの動物は「経験則」に縛られるから、ポニョがもういちど宗介に会いたいと思ったら、以前と同じ方法で会いに来るのが普通だろう)純粋に動画としての説得力だけで成り立っている。このシーンに限らず、本編の「見せ場」は物語の「論理」とはまったく別のところで成立しているのだ。
理屈で考えれば、あれほどの大津波とそれに続く高潮に襲われたら、それこそスマトラ島沖大地震津波(2004年)をも軽く越える犠牲者が出ているはずだし、なにしろ月の軌道すら変えてしまう宇宙的規模の異変なのだから、人類の存続すら危うい天変地異なはずなのだが、本編ではそうした部分はあっさりスルーされている。というより、そんな大事件ではなかったということが、ラストシーンでさりげなく示されている。舞台になった町にはたくさんの報道ヘリが飛び交い、救援隊が押し寄せていた。つまり、ここ以外の場所では異変は起こっておらず、ここでも、おそらくグランマンマーレの加護で犠牲者ひとり出ていないのだろう(彼女が老人ホームの人たちだけしか救わなかったとは思えない)現実的にはありえなくても、なにしろここは絵本の世界なのである。作者が「こうなのだ」と絵で描いてしまえば、それがそのまま現実となるのだ。こうした芸当は、並みの映像作家にはとうてい不可能なことで、本編でそれをやってのけた宮崎は、もう他の追従を許さぬ境地に到達しているのだろう。
ところで、ポニョのホントの名前はブリュンヒルデ。ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」のヒロイン(戦死した勇者を死者の国にいざなう女神「ワルキューレ」のひとり。英雄ジークフリートの妻となる)として名高い。そのせいか、大波が襲うシーンの劇伴がどこかワーグナーぽかった(^^)・・・
★★★★

0