上映時間2時間20分弱のこの映画を、今回の放映では正味1時間半程度までカットしてしまったので、本来ならここで何か書けるほどきちんと鑑賞できているとは言いにくい。その辺を加味して、批判の匙加減はいつもよりやや甘くしたつもり^^;
とはいえ、ある程度想像はしていたものの、やはり原作とのギャップはかなり酷く、主要登場人物こそほぼそのまま使ってはいるものの、本編はむしろ、手塚治虫の「どろろ」を原案としたオリジナル作品と言うべきなのかもしれない。妻夫木聡の百鬼丸はまだしも、芝咲コウのどろろはあまりにも原作とイメージが違いすぎて、「どろろのねーちゃん」にしか見えなかったし、原作でどろろの育ての親となった医師、寿海は、本編では妖術やエレキテルまで使いこなす呪術師的な男(原田芳雄)として描かれている。
変更点はいろいろと目に付くが、中でも目立つのは、原作の室町時代という時代設定を、「賢帝歴」という聞きなれない年号に変えてしまったことで、舞台を過去とも未来ともつかないファンタジー世界にしたつもりのようだが、そもそも日本の時代劇自体、真実の歴史から見ればファンタジーとしか言いようがないくらい改変が目立つ(天下の副将軍が全国を漫遊したり、将軍様が正義の刃で悪を懲らしめたり^^;)ものなので、さらに嘘を上塗りする必要があまり感じられなかった。あるいは、ロケ地を外国にしたためにそれとなく出てしまう違和感(確かに日本には見えなかった)を払拭できなかったための開き直りだったのか?
父、醍醐影光(中井貴一)により妖怪に引き渡されてしまった肉体の48のパーツを取り戻すべく、主人公の百鬼丸が奮闘する、という物語の骨子は同じだが、代用の部品に原作にはない不死性というか、驚異の回復能力を付与してしまったために、剣戟にあまりスリルがない。なにしろ、敵に体を刺し貫かれても、瞬時のうちに傷口が塞がり、またこれまでのように戦えるのだから、絶対負けない試合をしているようなものだ。そして、どうやら取り戻した肉体にはその回復力はないみたいなので、彼は戦うたびに弱くなってしまうことになる\(@o@)/
これがRPGなら、ゲームが進むとともに経験値が上がって強くなるはずなのだが^^;
失った体のパーツを仮のもので置き換える、という発想自体、差別問題に直結する危険性があるという理由で、かつて放映されたTVアニメもほとんど省みられない現状を鑑みると、敢えて今、この物語を映画化する勇気には頭が下がる思いだが、当然ながら本編にはそうした差別的な要素はまったくなく、むしろ一種のサイボーグみたいな描写で百鬼丸をスーパーヒーローのごとく描いている。確かに、今となってはこれ以外の描き方はないのだろうが、おかげで自らの肉体を失うという悲哀があまりストレートに伝わらず、むしろ前述のごとく、元の肉体を取り戻し、生身の体になったらとても弱くなってしまうのではないか、などという危惧が先に立ってしまった。いまさら差別用語を使うような愚は冒せないことは判るのだが、そういう言葉でないと表現できない感覚、というのもやはりあるのではなかろうか。
最後にひとこと、どうしても書き記しておきたいのが、売りであるはずのSFXの出来。ところどころ頑張っている場所もあるのだが、たとえば鯖目の奥方(土屋アンナ)が妖怪の正体を表す場面など、あまりにつたないSFXに唖然としてしまった。ここのCGを担当した人間は、おそらく話にリアリティを持たせよう、なんていう意識はまったくなかったに違いない。これは技術というよりセンスの問題だ。担当者は、こういう形の生き物がもしこの世にいたらどう動くのか、まったく想像すらしなかったのだろう。とにかく「酷い」のひとことである。
聞くところによると、本編のヒットに気をよくした製作サイドはすでに第二、第三部の製作を決定したということだが、くれぐれもSFXはもう少し「判ってる」人を起用してもらいたいものだ。・・・
★★

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