前半部分の展開が少々ぎこちなく、メリハリに欠ける気がするのは放映時間の関係で少々カットされていたからだろうか。しかし、通常の映画を放映するときにも、ある程度カットされるのは普通なのだが、これほど不自然な感じにはならないことを思うと、やはり映画そのものに問題があるのかもしれない。とにかく、前半部分のエピソードはどうも「溜め」がなさすぎ、スケジュールに添って、説明しなければならないことを淡々とこなしているような感が強い。普通の劇場用アニメとして製作されたのにも関わらず、テレビアニメの総集編みたいな感じになってしまっているのだ。
資料によると本編のシナリオは17回も書き直された労作だそうだが、それにしては首をひねるような描写が目に付くのは残念だ。たとえば、ワタルが異世界に行きたいと望む直接の原因となる母の入院だが、映画ではただ倒れているだけでその原因がわからない。台所で調理中に倒れたような描写にはなっているが、原作のようにガス中毒とするなら、いくら11歳の子供とはいえ、あわてて窓を開けて部屋の換気くらいはするだろう。倒れているシーンからいきなりストレッチャーで運ばれるシーンにつないでは、観客に伝わる情報が少なすぎる。
物語が本格的に動き出すのは一同が「北の帝国」に向うあたりからで、ここからの演出はまるで別人の作品みたいにメリハリ過剰になる。急に意味のない「溜め」が増えたり(ドラゴンの編隊が飛翔する場面など、ドラゴンの姿が見え始めるまで10秒くらいも背景である空と雲の止め絵が続いたりする)台詞と台詞の間隔が異様に長引いたりしているのだ。もっともこの部分まで前半同様に流されては、もっと感動の薄い作品に成り果ててしまったことは間違いないが。
テーマ選択や「非声優枠(ってほぼ全ての配役が声優ではない人によって占められているが)」、そしてなによりテレビ局主導の製作体勢など、本編がスタジオジブリ作品をかなり意識したことは間違いないが、唯一大違いに違うところがある。それは本編が徹底して「子供向き」アニメとして作られていたことで、一見子供向けを標榜しているように見えながら、実は宮崎監督が自分自身のために作っているとしか思えない(もちろんそれは芸術家として正しい態度である)ジブリ作品とはかなり趣が違う。少なくともジブリ作品はこれほど単純なテーマを声高には叫ばないし、なにより話が遥かに重層的である。
残念ながら、今回の「非声優枠」はあまり成功しているとは思えない。脇を固める大泉洋やウエンツ瑛士(これははっきり言って拾い物)は悪くなかったのだが、肝心の主役ワタルを演じた松たか子が、11歳の少年ではなく28歳の女優、松たか子の声にしか聞こえないのだ。確かにこれくらいの年齢の少年は、女性の声優さんが演じることも多いのだが、それが可能なのは彼女たちがプロだからであって、誰にでもできるわけではないということを、今回の松たか子は残念ながら証明してしまった。・・・
★★★

0