最近私が読んだ本の中で、個人的に結構面白くて印象に残ったのが、140B(イチヨンマルビー)という出版社から刊行されている『
すごいぞ! 私鉄王国・関西』という本です。
中小企業診断士・1級販売士(登録講師)・商業施設士で、経営コンサルタントとして活躍されている、私より少し年上で私と同じく札幌生まれの、黒田一樹さんという方が著わした、関西大手私鉄5社についての本です。
著者の黒田さんは、京阪80形電車の保存運動に尽力したり、「TVチャンピオン」の東京地下鉄レジャー王選手権に出演して準優勝したりするなど、鉄道にも大変造詣が深い方で、この本では、黒田さんが在東京人だからこそ感じる「これだけ個性の違う鉄道が走る関西が羨ましい」という熱い思いと共に、私鉄王国と称される関西私鉄の歴史・技術・個性・沿線文化などが分かりやすく紹介されています。
黒田さん曰く、関西の大手私鉄5社には、阪急には「創業者」、南海には「バロック」、阪神には「スピード」、近鉄には「エキゾチシズム」、京阪には「名匠」という、それぞれを読み解くキーワードがあり、それらのキーワードを意識しながら各鉄道を利用すると、それぞれの鉄道の魅力の違いがどこにあるのか、はっきり分かるとの事です。
鉄道に特に詳しくはない人が読んでも、それなりに詳しい人が読んでも、どちらの立場からも十分に楽しめる内容なので、私としてはかなりオススメの本です!
以下に、ネット書店のamazonのサイトにアップされていた、サマンサさんという方が記されたこの本についてのレビューを転載します(カギ括弧内の紫色の文字)。
長文ですが実に秀逸なレビューで、文末は、南海の新たなキャッチコピー「愛が、多すぎる」を用いて締められています。
『
石川啄木という粋人がいた。
彼は鉄道を楽しむことができる粋人で
『何事も思ふことなく 日一日 汽車のひびきに心まかせぬ』
などという、粋な詩を残していたりする
そんな啄木は、上野駅くんだりに出かけてこんな詩を詠んでいる
『ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく』
教科書にも載っている有名な詩なので、知っているかたも多いと思われるが、この詩を知ったとき、以下のように思った人はどのくらいいるだろうか
「電車乗れよ!」
おそらく誰も突っ込まなかったと思う。それはつまりあなたが、「上野駅に故郷のなまりを聴きに行き思いをはせる行為は鉄道の正しい使いかたである」と認識したからであろう。少なくとも学校の授業では「なぜ啄木は駅まで行って電車に乗らなかったのか」が議題になったことはないはずだ。
ならば阪急梅田駅に行き
「お待たせしました。1号線 特急 京都河原町行き ただいま発車します」
を聴いて阪急電車を堪能するのもまた、鉄道の正しい使い方なのだ。そしてかつての3列車同時発車の前奏曲となるブザの和音に思いをはせつつ
「個人的にはやはり『ただいま発車です』」のほうが好きだったな、なんて思えばなおいいだろう。
このように鉄道とは「どこかへ出かけるための交通機関とは限らない」、というのを、認識しておきたい。
本書はこういった、関西民鉄の楽しみかたを延々と243ページに渡って語り続けている。その姿勢は常にアクティブではあるがでしゃばらない。それぞれの鉄道が持つ癖や作法をありのままに受け入れ、楽しむ。すれっからしのマニアが知ったような顔で自説の開陳をするような鼻につくいやらしさはおくびにも出さず、ただただその鉄道を味わうのだ。
たとえば比類なきインターバン阪神電車の項では「阪神電車は、速い」とぶち上げている。鉄道マニアであれば阪神電車の最高速度は赤胴106km/h、青胴91km/hで、JR西日本の130km/hどころか阪急の115km/hにも及ばないことは知っている。もちろん筆者だって知っている。
しかしその後に、なぜ阪神は速いといえるのかを滔々と誌面を割いて語る。歴史的事情、システムに始まり、車輌の色にいたるまで畳み掛けてくる。その章を読み終わるころには「なるほど、阪神電車は速いのか」と納得させられざるを得ないような気持ちにさせてくれる。そして、梅田から高速神戸までジェットカーに乗りたくなるに違いない。いや、ぜひ乗ってくれ。本当に速いんだ。
そして個人的には南海電車の項がとても響いた。和歌山県の地盤沈下や「一部の」沿線の雰囲気から必ずしも阪急電車のような評価は得られない南海電車だが、それをもって「バロック」としたのは慧眼だ。
南海電車はそのときそのときのよいと思ったものを、ミルフィーユのように積み重ねていく。ゆえに新旧が混在し、ゴシック的な迫力を織り成している。
だから乗るたびに何かが変わって実に面白い。阪急をひとつの思想の元に収束する「イコン」とするなら、南海はその対極をいく「ゴシック」だ、というのが俺の考え方ではあるけれど、筆者のバロックもおそらく似たような観点だと思う。
バロックの緊張になぞらえて南海電車の沿線風景を楽しむと、おそらくこれまでと見える風景が変わってくるだろう。そして、南海電車に乗るというのは、なんば駅から襟を正して和歌山港行きに乗り、和歌山港で何ともいえない気分を味わいつつ徳島に行くことが作法である、と感じるに違いない。横着して新今宮や天下茶屋から乗るなど無粋のきわみであると。
かつて宮脇俊三は『時刻表おくのほそみち』で青函連絡船に乗っているときにこういった。
『やっぱり北海道へ渡るには、これでなくちゃいけない。あと三時間もすれば函館が見えてくる。こういう風に徐々に接近していくのが北海道への礼儀です。飛行機でズバリと千歳へ着くのはいけない。つまり、その、やるべきことを省略していきなりナニするのは、よくない。失礼に当たる』
本書の筆者も、似たような気持ちをどこかに持っているのではないだろうか。そうでなければわざわざ〈ラピート〉のスーパーシートに新今宮から乗車して、スイスホテル南海大阪に泊まったりはしない。
それが筆者の考える南海での作法なのだろう。ハタから見ればおかしな人間に見えるし、実際おかしいといわざるを得ないが。
とにもかくにも鉄道会社にはそれぞれの由来がある。その由来を噛み締め、心赴くままに鉄道を愛する。それは粋であり、千利休の茶道に通ずる。いきなりナニするのは鉄道に対して失礼に当たるし、無粋だ
粋のほかに筆者の本書の根底に流れているものがもうひとつある。それは「愛」だ。
時には京阪8000系のくだり「それよりまだ8000系を使うのかよ」といった部分もあるが、そこにいたるまでの文章では京阪に対する愛にあふれている。読んでいて胸焼けしたりむせ返るようなくだりもあるが、愛とはそういうものだ
そう、「愛が、多すぎる。」のだ 』
この本はとても面白かったですが、それだけに、本書の後書きを読んで、最後に衝撃を受けました。
実は、著者の黒田さんは末期ガンで、今年の2月には医師から「余命1ヶ月」を宣告されたそうです。幸い、その後は一命を取り留め、現在は抗がん剤治療を続けているそうで、先程見たFacebookの黒田さんのページにはつい最近の投稿もあったので、元気なのかどうかは分かりませんが少なくとも現在SNSを更新する余裕や体力はあるようなので、とりあえず一安心しました。
御本人は後書きの中で「乗らずに死ねるか!」「わたしはまた還ってまいります」と宣言しておられるので、その言葉通りにならん事を、私も心より御祈念致します。

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