平成23年3月11日、つまり丁度3年前の今日、各種報道等で皆さんもよく御存知のように、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とする、国内では観測史上最大規模となるマグニチュード9.0の大地震が発生しました。
最大震度7というこの大地震によって発生した巨大な津波は、場所によっては波高10m以上、最大遡上高は40mにも上り、岩手県沖から茨城県沖までの広範囲を襲い、そのため東日本各地、特に東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に、筆舌に尽くし難い壊滅的な被害をもたらしました。
この大地震と、それに伴って発生した津波・余震等により引き起こされた一連の災害は、同年4月1日の閣議で「東日本大震災」と総称されることとなり、警察庁の発表によると、本年3月10日現在の同震災の死者は15,884人(犠牲者の死因の9割は水死でした)、行方不明者は2,633人、重軽傷者は6,148人にも上ります。
改めて、震災で亡くなられた方々の御冥福を心からお祈りすると共に、様々な困難に直面しつつも着々と復興への歩みを続けられている方々に、心から敬意を表します。
今私達に出来ること、しかも誰にでも出来ることで、そして今後も継続すべきことは、「この震災を決して忘れない」ということです。
東日本大震災については、このブログでも
平成23年3月16日の記事、
同年8月30日の記事、
昨年4月27日の記事などで触れてきましたが、震災の発生から丁度3年が経ったことに因み、震災の記憶を風化させないために今回は改めて、当時の写真(被災地における鉄道車両や鉄道施設の被害写真)から東日本大震災の激しさや被害の甚大さを振り返ってみたいと思います。
なお、以下の写真はいずれもネット等で拾ったもので、撮影された年はどれも平成23年です。
▲ 3月12日に福島県新地町で撮影された、JR常磐線の新地駅。
津波によって、ホームと跨線橋を残して駅とその周辺一体は完全に壊滅しました。辛うじて残った跨線橋も半壊しており、駅構内には横倒しになった車両が散乱しています。
▲ 3月18日に仙台港で撮影された、仙台臨海鉄道のタンク車。
タンク車はあちこちで脱線しながら横転し、レールもぐにゃりと曲がったり寸断されるなどしています。仙台臨海鉄道は、全長約10kmの路線のうち70%以上にあたる区間が被災し、更に、運転指令所がある本社も浸水するなど、被災地の臨海鉄道の中では最大規模の被害を受けました。
▲ 3月30日に岩手県大槌町で撮影された、JR山田線の大槌駅。
壊滅的な被害を受けた大槌町の中心駅で、駅舎や駅構内の大半が流失しました。
▲ 4月13日に前出のJR常磐線・新地駅で撮影された、原ノ町行き上り普通列車。
同列車は駅に停車中に津波に遭いましたが、幸い、偶然乗り合わせていた2人の警察官の誘導により約40人の乗客は無事に避難し、乗員も駅の跨線橋に避難したため無事でした。
▲ ひとつ前の写真と同じ日に同じ場所(新地駅)で撮影されたものです。
この写真では列車が完全に引っくり返っており、改めて津波の凄まじい威力を実感します。
▲ 5月3日に仙台港駅で撮影された、仙台臨海鉄道のディーゼル機関車とタンク車。
仙台臨海鉄道では所有する機関車3両の全てが被災し、そのうち2両は廃車となりました。ちなみに、同駅は仙台市宮城野区と多賀城市の2市に跨っています。
▲ 5月4日にJR気仙沼線の松岩〜最知間で撮影された、小牛田行き上り普通列車。
この列車は、地震の発生を受けて走行中に緊急停車した後、津波の直撃を受け、田んぼの中に突っ込みました。
▲ 5月6日にJR八戸線の宿戸〜陸中八木間で撮影された、津波により流失した大浜川橋梁。
同区間は八戸線では最も海に近い区間で、長さ40mの大浜川橋梁の橋桁は全て落下しました。
▲ 5月8日に岩手県大船渡市で撮影された、JR大船渡線の大船渡駅。
津波の直撃を受け、駅舎は基礎部分のみを残して流失し、御覧のようにホームと線路は瓦礫によって埋め尽くされました。
▲ 5月17日にJR常磐線の山下〜浜吉田間で撮影された、流失せずに残った電気機関車。
牽引していた貨車は全て流されましたが、機関車だけは横転もせず、奇跡的にその場に残りました。確かに機関車は貨車に比べるとかなりの重量がありますが、それでも、機関車よりも遥かに大きくて重い建築物が数え切れないほど全壊したり流失しているのですから、これはやはり奇跡的といえるでしょう。
▲ 6月1日に岩手県田野畑村で撮影された、三陸鉄道北リアス線の島越駅。
単式ホーム1面1線を有する高架駅で、高架橋は10m近い高さがありましたが、津波によってその大半が流失しました。田野畑村の震度は4で、地震の揺れは比較的小さかったのですが、その後襲来した津波により壊滅してしまいました。
▲ 7月14日にJR大船渡線の竹駒〜陸前矢作間で撮影された、気仙川に架橋されていた気仙川橋梁。
気仙川橋梁は、広田湾にそそぐ河口からは3km以上もの距離があったのですが、津波はここにまで到達し、長さ168mの橋梁の一部を浚っていきました。

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