今回は、阪急神戸本線(梅田〜三宮間32.3km)の三宮駅について、その概略を大雑把にまとめさせていただきます。
ちなみに、4/25付記事「
梅田となんば」、6/2付記事「
関西私鉄再編(その1)」、6/5付記事「
関西私鉄再編(その2)」、6/17付記事「
阪急電車」、6/29付記事「
関西私鉄再編(その3)」、10/2付記事「
阪急阪神ホールディングス発足」など、このブログでは今まで何度も阪急について触れてきましたが、そうであるにも関わらず、何故かそれらの記事は全て「阪急」とは別のカテゴリの記事として書いており、「阪急」のカテゴリの記事としては、実は今回が初めての記事となります。
大正9年7月、阪急電鉄は大阪〜神戸間に高速路線(現在の神戸本線)を開業させたのですが、このときの神戸側のターミナルは三宮ではなく、上筒井にありました。
阪急は当初から三宮を神戸側のターミナルとするつもりで、三宮まで高架で乗り入れることを計画していたのですが、神戸市の地鉄乗り入れの要望がその計画の前に立ち塞がり、そのため阪急は、とりあえずは当時神戸市電の終点であった上筒井を神戸側のターミナルとしたのです。
しかし阪急は、その後も高架線にて三宮へと乗り入れることに強く拘り続け、18年間も市と粘り強く交渉を続けた結果、昭和11年、ついに阪急の粘り勝ちとなり、阪急は念願の高架での三宮までの乗り入れを実現しました。
三宮のターミナル(現在の阪急三宮駅)は、開業当初は「神戸」と称し、頭端式4面3線の駅でした。
駅舎は神戸阪急ビルと合造で、高架のホームを取り囲むように建てられたその神戸阪急ビルには、梅田駅同様に食堂、食料品店、映画館などが入り、ビルの東側に設けられた複線アーチ状の入口(ビルの横腹に丸く開いた穴)から阪急電車が出入りする姿は、長く神戸のシンボル的な光景でした。
昭和43年4月、阪急は
神戸高速鉄道への直通運転を開始し、これに合わせて神戸阪急ビルでは西側のアーチを貫通させ、そこから神戸高速鉄道の東西線へと路線を接続し、駅の構造をターミナルから中間駅構造に変更しました。
また、このとき駅名を「三宮」と改称し、ホームも8両用に延伸しました。
そして昭和56年までに、特急の10両編成化のためホームを10両用に延伸したり改造するなどして、島式ホーム2面3線の現在の駅構造となりました。
しかし、平成7年1月、阪神淡路大震災により、61年間神戸のシンボル的な存在で、三宮のランドマーク的な建築物であったその神戸阪急ビルは全壊してしまいました(倒壊こそ免れたものの北側に傾斜して全壊しました)。
現在の駅ビルはその後建て替えられたもので、ホームはアーチ状の鉄骨で作られた屋根ですっぽりと覆われております(写真参照)。
ところで、現在、阪急電車は三宮からは神戸高速鉄道の東西線に乗り入れ、新開地まで直通していますが(新開地から先へは走っていませんが、阪急では須磨浦公園までの直通免許は今でも維持しています)、阪急は今後、春日野道〜三宮間を地下化し、それに伴いその地下線を神戸市営地下鉄と接続させて全電車を地下鉄線に乗り入れるとしているため、これが実現されると神戸高速鉄道の阪急三宮〜高速神戸間は廃止されることになります。
阪急としては、自社が山手側、阪神や山陽電鉄が港側の輸送と、役割分担を考えているようです。

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