関西の私鉄の市街地地平区間は(最近は関西の私鉄に限らず全国的にそうなっていますが)、線路と道路(歩道)を遮るフェンスが特に高くなっていたり、そのフェンスの上に有刺鉄線が張り巡らされていたりと、一般の人が線路には入れないよう厳重にガードされています。
それは勿論安全対策のためなのですが、今日は、そういった安全対策が本格的に施されるきっかけとなった、京阪本線での事故を紹介させていただきます。この事故をきっかけに、その部分6kmに厳重なフェンスが設置されて、それが各社にも波及していったのです。
その事故は、今から約28年前の昭和55年2月20日に起こりました。
午後8時30分頃、淀屋橋発・京都方面行き(どこの駅まで行く予定の列車だったのかは分かりません)の急行(5000系電車)が、定刻通り淀屋橋駅を発車し、8時50分頃、枚方市駅に到着しました。
夜のラッシュは終わったとはいえ、帰宅を急ぐ会社員などで座席は満席で、車内では立っている人も多くいたそうです。
そして、凡そ1000人の乗客を乗せたその急行が枚方市駅を出て、枚方市駅〜御殿山駅間のカーブ(大阪府枚方市磯島茶屋町)に差し掛かった午後8時55分頃、突然先頭車の車体が2〜3度跳ね上がり、その直後、先頭車がレールから脱線し、7両編成の電車は脱線しながらそのまま100m程走り続けて、線路脇の鉄柱をなぎ倒して民家の離れや家屋の一部を壊しながらやっと止まり、2両目の車体はその衝撃で横転しました。
脱線・転覆事故でした(但し3両目より後ろの車両は脱線しなかったようです)。
特に強い衝撃を受けた1〜2両目の車体では多くの窓ガラスが割れ、車内で折り重なるように倒れた乗客達にそのガラスの破片が襲い掛かった事で車内の床や壁は血で染まり、最終的には乗客104人が重軽傷を負いました。
唯一の救いは、これだけの大惨事にも拘わらず死者は1人も出なかった事です。
事故現場では直ちに消防による救出作業が始まると同時に、大阪府警による脱線の事故調査が行われました。
「線路脇から逃げる少年達の姿が目に入り、その直後に何かに乗り上げて脱線した」という電車の運転手の証言や、脱線現場から見つかった砕け散った石などから、置石による脱線の可能性が濃厚となり、警察は現場から逃げた少年達と事故の関連性について慎重に捜査を始めました。
そして事故の翌日、5人の男子中学生達が「面白半分でやった」と置石を認めて警察に出頭し、補導されたのです。
少年達の供述によると、その日の午後7時過ぎ、少年達は5人で遊んでいるうちに「何か面白い事はないか?」という話になり、誰かが「線路に石を置いてみないか!?」と言い出した事がきっかけとなって、少年達は京阪本線のフェンスを乗り越えて線路の中に侵入し、レールの上にこぶし大の石を置いて線路脇で電車が来るのを待っていたのだそうです。
そして、間もなくやって来た電車はレールの上に置かれたそれらの置石(1個ではなく複数だったようです)に乗り上げて左側の車輪が脱線し、線路を外れたまま走り続け大勢の怪我人を出す事故になったのです。
大惨事を起こした5人の少年達は、全く予期していなかった電車の脱線・転覆という事態に驚いてその場から逃走したものの、良心の呵責から事故の翌日、レールの上に石を置いた事を中学校の教師に打ち明け、中学校側はすぐに警察に連絡して、5人は警察に補導されたのです。
この置石による脱線・転覆事故をきっかけに、京阪をはじめ各鉄道会社では、線路脇のフェンスをより高くして有刺鉄線を施したり、人が線路に入れないよう線路の高架化を進めたり、また、レール上の障害物をはねのける列車前面の排障器を大きくするなど、今まで以上に厳重な安全対策を講じるようになりました。
ところで、この事故では、5人の中学生とその保護者は、同年12月に京阪電鉄から1億円を超える損害賠償を求められ、その後の交渉で減額はされましたが、結局、一家族当たり840万円という高額な賠償金を支払うことになりました。
鉄道アナリストの川島令三さんによると、「当時の電車1両の値段は3000万円くらいなので、割ればそのくらい(840万円程度)の補償になる。でも現在であれば、電車は1億2000万円くらいするので、相当高額な賠償金を払わなくてはならないだろう」とのことです。
置石による重大事故は、最も重いもので死刑が科せられる「列車往来危険罪」に問われます。
レールの上に石を置くことは、単なる“出来心”や“イタズラ”では済まされない、多くの人命を奪うことも有りえる凶悪な犯罪行為なのです。

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