悲壮な物語を秘めた山野草

上沢渡の関憲一さん宅の約1,000株のクマガイ草。20日の上毛新聞に大きく載っていたので早速見せて頂きに伺った。かなり大勢の人が押し掛けているだろうと予想した通り、引っ切り無しに訪れていたようであった。私達は午後4時近くなってしまった。急峻な山に花木を沢山植えて、回遊できるように、綺麗に整えてあった。さぞかし手間暇掛ったであろう様子が窺えた。
40年掛けて1,000株までに増やしたと言う。以前は農家であって、こんにゃくや養蚕もしていたが、現在は農業をやめて勤めに出ているとの事。品の良い奥さんが快く案内してくれた。
このクマガイ草を観る前に、倉渕町の小栗の里へ寄って、アツモリソウを鑑賞した。
クマガイ草とアツモリ草。この二種の花は、誰もが知って居るであろう、源平の合戦の、悲壮な物語に由来した花である。
その時代は、一騎打ちが武門のならいで、「やあやあ吾こそは源氏の熊谷次郎直実である!」方や「平家の武将、平の敦盛なり」と名乗りながらの合戦であったと言う。
剛腕熊谷と、年端も満たない公達敦盛では勝負にならない。豪華な鎧兜の背には位の高さを表す母衣を纏い、逃げ行く武者を呼び止めた熊谷次郎に、背を向けて逃げる訳には行かぬと、平家の武将平敦盛は、跨る名馬をひるがえし、討死覚悟の合戦に挑む。年端も行かぬ若者とは言え、雄々しき武将に目こぼしするは、反って無礼と止む無く若武者を討ち取るに至る。涙ながらの熊谷次郎は、この合戦を最後に、仏門に帰依したと言われる。アツモリソウは、葉は小さく花もやや小ぶりで、クマガイソウは、葉は扇形にして大きく、花も大きい、この花の形が武将が背負っている母衣に似ているところからその名が付いたと言う。何となく悲しくも愛らしい花である。
我が家でも買って来て植えたが、5年くらい過ぎた所で、絶えてしまった。
関さん方のクマガイソウも後数日で終わるようだ。

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