体験作陶の作品(五年生)
我が市の殆どの学校が、見学や、陶芸体験に来ている。年に一度の学校行事で、特に陶芸体験が好評との事で、私の工房で受けている。学校によって、生徒数の多い少ないはあるものの、かなり生徒の質が違うのには驚きだ。昨日は2クラスで約60名近くの生徒が一堂に会しての体験とあって、指導するこちらも、先生も大変だった。近頃の子供は、先生からあまり注意を受けていないのだろうか?
此方が、説明して居る時でも全く話は聴いておらず、クラスの仲間とふざけあっている。先生がそれを注意しないものだから、僭越ながら私の方で注意をした。一度ならず、2回までした。然し一向に態度は直らない。多動性症候群というのだろうか?滅多に私からは注意をしないのだが、今回はせずには居られなかった。一旦作り方を見せて説明後、作陶に入った。そうなると態度が一変する。土を自由に弄って居る時はとても楽しそうに作っているではないか。
マグカップ、皿、ご飯茶碗、花瓶など思い思いの作品を目指して、ワイワイガヤガヤしながらも楽しそうだ。ほとんどの生徒が初めて作るとあって、当然上手に作れるはずが無いのである。
「先生!」と呼んで助けを求める生徒は、明るく積極的な子だ。上手く作れず、壊しては作り直す、気短な子!。どうして良いか分らなくなって、手が動かない子。「手を出さないでくれ」という自立派の子。と夫々である。中には全く何を聞いても口を利かなない子供もいて、何を考えているのか分からない!先生が聞いても同じで、先生の提案も、私の提案も、一切聞き入れず、ただ首を横に振るだけで、とうとう作品が出来なかった。先生の詰問に泣き出してしまう有様。この子は強く言われたら頑なになってしまうから、優しく語り掛けなくてはならないと、私は思って少し間を置いたが、先生にきつく言われて、体まで固まってしまった。先生もその子の性格は分って居るのだろうが、その他の生徒に対しても、かなりキツイ言い方をして居たのが、少し気にかかった。他の先生はあまり注意をしないのも気になった。
「人は褒めて育てるものだと」、私も納得はしているが、いざとなると、なかなか褒める事が出来ない。
自分が子供の頃、先生にはいつもげん骨で頭を殴られていた。その度に先生が憎くて、「ちきしょうー勉強なんかしてやるものか!」と内心で反発していたものだ。その結果は自分も心が歪み、勉学は出来ず、いつもテストの度に困って居た。
さて、高校受験を控えて、困った訳である。何しろ昭和36年のまだ貧しい時代でもあったし、中学は純農村地帯で、前橋や伊勢崎と言った町には程遠いど田舎であるから、塾など無い!。
自分でも、先生にも言われたが、高校受験で志望校には程遠い成績である事は明白であった。
頑固な性格だし、昼間の授業では殆どの時間を居眠りして過ごしていたので、当然の事であった。
しかし性格は頑固で、多少の負けん気は有ったので、真夜中に家族が寝静まった頃から独習がはじまるのである。参考書だけが頼りであった。幸い仲良しのK君が一緒に勉強しようと言ってくれたので助けられた。K君は優秀だから、何も私と一緒にする必要は全く無いわけだ!。
かくして志望校に受験した。会場に入って受験のライバルたちをぐるっと見回した。「オッ

いったっだきー!、みんなジャガイモだよ」、なんて自分でも驚くほど自信に満ちて肝が据わっていた。 して受験は終了して、発表の朝をむかえた。私は自信満々であったから、おもむろに家を出て発表会場に着いた。かなり遅くなってであった。すでに中学の担任の先生は来ていて、私の到着をまっていてくれた。「よーおめでとう!」と先生は大きな声で喜んでくれた。私はまだ見てないいない内であったから、無感動な表情で先生と対面した。「俺まだ見てないんだよ!」先生は「何!うかってるよ!」私、「そうかい!」。内心「あったりめえよ!」とつぶやいていたのだ。
入学式は、あいうえお順に呼ばれたので、450人の入学生のトップで呼ばれた。代表で入学証を受け取った。授業が始まり最初の中間テストの発表があった。先生に呼ばれ「お前はびりけつ入ったのだからもっと頑張らなければだめだ」と言われて、唖然とした!。自分の自信は何だったんだろう?。「びりで入ってた!あぶなかった〜」
良く考えれば、自信も味方して合格したのだろうと冷や汗をかいた。「成績の順位などどうでも良いさ!」と今度は開き直っての高校時代を過ごしたわけだが、後になって振り返れば、学ぶ喜びを自ら放棄していたと気が付いたわけである。それを先生が嫌いだと言って、勉強しなかった事をどれほど後悔した事か計り知れない!
子供の時はそんな知恵きり持ち合わせていないのだ。だから先生も褒める事がどれ程効果的であるかを十分認識して貰いたい。
私の高校時代の、びりけつ争いをしていた、昼行燈の同級生は、担任の数学の先生が、一度注意をしたら、満点を取ったという。そこで先生はたいそう、その昼行燈を褒め称えた!そしたら数学だけが抜群に良くなって、大学に進んだ。しかも東京理科大である。その後の彼は同級生を見下している様な態度で接してきた。私と同じ、昼行燈、スリープキングと呼ばれた男だ。彼はその後早稲田の大学院へ入り、数学博士となり東海大学の教授となった。褒めた高校の数学の先生宅に夜中二時に尋ねた挙句、朝まで眠らせず、先生の知らない数学まで持ち出して、愚弄したと言っていた。先生の一番悔しい事と、同級会の席で話していたのが思い出される。その2か月後に先生は旅立たれた。
彼は教授にはなったが、人間的な成長がなされなかった。
然しながら、やはり褒められて悪い気持ちには誰もならない。嬉しくて、もっと褒められようと努力するでありましょう。

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