アプトノ道
アプトの道は、旧信越線の日本で唯一のアプト式鉄道廃線の跡を散策出来るようにした、遊歩道。
明治時代中期、富国強兵の為、東京と新潟を結ぶ。群馬県側横川と長野県側軽井沢間の難所碓氷峠越えの為に、トンネルと橋梁を架け、僅か1年半の短期間に人海戦術により完成させた。しかし犠牲者500人を数える難工事であったと言う。アプト式とはスイス人技術者、アプトの名に因んだ方式で、スイスの登山鉄道で現在使われている。レールの中央に滑り止めのラックレールを設置して、歯車を噛み合わせて、急勾配66,7パーミル(つまり1,000分の66,7)を機関車で上り下りした。電化される明治45年まで、SLで運行していた。其の為トンネル内は煤で真っ黒だ。
国指定の重要文化財旧信越本線橋梁眼鏡橋。
現在、横川駅の鉄道文化村から眼鏡橋までの4キロ余りを遊歩道として整備され、日本の近代化遺産と共に、自然の探索が楽しめる。但し、猿、猪、熊にご注意を!鈴を付けて散策をした方が安全です。猿は何処にでも居ますので、食べ物は絶対に与えないように!
この眼鏡橋は赤レンガ造りで、今も残る埼玉県深谷市のレンガ窯で殆ど焼かれた。
旧自性寺焼の窯でも焼かれたと言う説も有るが、定かでは無い。
鉄道文化村から眼鏡橋までの往復約9キロを早足で歩いたが、歩く事が苦手な私には、ちょいときつかった。帰りは、峠の湯で疲れを癒す。
冬の厳しい中、僅かな青い草の根をむしり食べる猿達。
旧中仙道坂本宿の町並み、江戸時代からの旧家、かぎや

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