2010年から毎月参加を欠かしたことのない
石田梅岩顕彰会 心学修正舎の実質代表者の後藤さんから励ましのお言葉を頂いた
お返事の気力もなく取り合ずここに転記してご紹介し 元気が出てから返事を差し上げることお許しください
藤井さん
少しでも 心が落ち着く方向に向かっていますか。10年も死について
対決してきた藤井さんも、奈落の底に落ち込まれたことは 想像に難く
ありません。東洋の孔孟の儒も、釈尊の教えも、梅岩の心も、道として
他者に尽くす「仁」や「慈悲」を説くその奥には、人間には如何なる窮地に
立っても 生き延びる使命があり、智慧が天与されている、使命とは
自然体で「生」に対峙する人は 天や神は見捨てない、と言う様に理解出来る
と思うのです。
奥様や子供さんの立場・人生を考えることに拘ると、先々色々な思い
が浮かび悩む訳ですが、あまり奥さんや子供さんのことに拘ることは 逆に
自然の道に反するような気がします。将に枯れんとする自分の「生命」も
自覚も身近な家族と共に一心同体だった訳ですから 自然にあるがままに
受け入れる、と言う割り切りは 「道」に沿っていると思いますが 如何でし
ょうか。
足腰はまだ動くし意識もはっきりしている訳ですから「ALS」の宣告なくとも 自然に進んでいた「老化」と同じ、と言えなくもありませんよね。
ホーキンス博士も、三重苦のヘレン・ケラー女史の人生などを想うと
藤井さんも安心できる「生きる道」を切り拓くと言う意識よりも、「あるが
ままに自然に」生きる、天の任せるという意識が 藤井さんの心奥にある
と信じます。「あるがままに、自然に任せる」と言うのは決して 絶望的、
消極的な意味にはならないと思うのですが?
以下個人的なお事情は略
済みません何時もいつものお心配り 有難うございます
追記
4月3日返信
有難いお言葉を頂きながらすぐに返信と思いながら 気力に自信なく失礼しました
ベラーさんを知って また後藤さんを知って 10年も会舗に参加して これから梅岩顕彰実践の段階で 後藤さんまで修正舎から離れるとお聞きし残念でしょうがありません
私のことは単なる不運でなく 天罰として また天命としてALSを受けたので 自死ではなく安楽死の必要な人もいることを知っていただきたいのです
それができない現実で苦しむしかない私のようなこともあることをご理解くださる方が一人でもと思い願うだけしかできないのです
恥ずかしいことに ALSと言うよりただの腰痛で生きる気力がないのが私の今なのです
家族を考えると自死ではなく尊厳死を願っているのですがそれが見えない不安ばかりです
成行きに任すだけです
この8日に宇多野病院で2週間のリハビリ入院をしますが その先は未定です
デスクトップですので メールとブログも この先お休みすることになると思います
永らくお世話になりましたこと感謝しますとともに 後藤さんのご健勝をお祈りいたします
有難うございました

1