芸術センター企画「逡巡のための風景」のオープニングパーティに行った

矛盾の中で、考え続けること
「逡巡のための風景」は私たちが生きていく中で困難な状況に出会ったとき、異なる考えや価値観の中に揺らぎ、戸惑いながらもじっくりと自分の言葉を探ってみるための場所です。
時折、現代は生きることが困難な時代だと感じることがあります。 歴史や国家、経済といったものが複雑になり、日々の生活を支える制度や習慣にも歪みが生じていることを不安に感じている人は多いのかもしれません。それと同時に、そんな現代を自分とは異なる考えや感性を持つ人々と共に生きなくてはいけないということについて考えています。 それは近代的な価値観で自律を目指していた〈わたし〉という存在の不確かさに気づいた瞬間でもありました。・・・・・・
イシワタマリさんとは 昨年12月にボランティア関係で知り合っていたので パーティ前にマイクの状況をお話しする時間がありびっくりされた
パーティの途中で映像アートを「生きること」のための思考装置と捉える八幡亜樹さんはマリさんからマイクの話を聞くように勧められ また大見新村の皆さんも加わり マイクの周りに輪ができました
大見新村は滋賀科大や府立医大の学生もいて 真剣にマイクの「尊厳死・安楽死論」を聴いて頂いた
マイクが・・・悩む・・・についても真摯に考えて頂いた
しかし・・・・難しい問題なので・・・・ここまでに

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