「楽しい死」があるかもしれないと思ってはみたものの かなり限定的な条件がありそうです
「死のユーモア」とか「準備教育」何ぞも 一般的に必要なことではない筈です
最後が迫っている老人に限ったことのようです
その辺は弁えて誤解を避けなければなりません
大津皇子山中学のいじめ自殺などは自死ではなく他殺です
哲学者須原の勧める自死は如何に自らに未練がなかろうとも自己中でしかないと言うのがマイクのこのブログの主旨なのです
須原の自死は自己中な自殺だと思う
これらにはユーモアはありません


昨日は 京都文博フィルムシアターで 5月29日100歳老衰で亡くなった新藤兼人監督の追悼映画「悲しみは女だけに」(1959大映東京 京マチ子 田中絹代)を観た
監督が劇団民芸に書き下ろした自らの実録とも言える戯曲の映画化で 戦後の尾道の貧しさと欲得の生々しさを舞台のように描いている流石の作品でした
その家族の母親が死に際に 苦労を強いた娘への罪滅ぼしに 秘かに断食をして死んだとの語りがあった
宗教ファンのマイクが 死ぬ前の罪滅ぼしの大事さをHPに説くのに似た背景と感じて観た
断食で懺悔できても 罪滅ぼしまでは元気なうちにするしかないのですがせめてものとの懺悔です
罪滅ぼしまで出来れば笑って楽しく死を迎えられるでしょう
ユーモアある死の文化には 地獄に行かないで済む確信と安堵があってのことで マイクのこれまでの考えついたマイク流の死の条件に近いのではと思いました

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