2013/7/29の「ホーキングファンの物理のマイク」を中途半端に書き込んでから随分になる
割り込みの思いが入ったり 最近また腰を痛めてもうひとつのブログ「腰痛日記」の書き込みが多くなったりしたからです
ホーキングは 44歳で安楽死を勧められたほど 普通には大変な身体状態であったことは間違いない
普通にはと言う事は 周囲と本人が普通の能力の人で 普通の経済力であればとの話です
普通の人なら 周りの人に迷惑をかけるくらいなら死んでしまった方が良いと考えるだろうと思った医師から 安楽死勧告を受けたら普通 本人も納得がいくでしょう
ホーキングはそうでなかった
その時の医師は ホーキングの特殊性を理解していなかったからです
普通にこういう言い方をすると人権的差別になるので 現実としては判断をその本人に任せるしかないでしょう
ホーキング本人は自分の特殊性を理解し 妻が拒否した
しかし普通の人は安楽死を拒否できるほど自分の将来性を自覚できることはないでしょう
だのにそれでも生きようとするのが普通です
普通人とホーキングの違いをどこで区別できるでしょうか 不可能です
それなら誰でも延命処置をするか 一律みんな安楽死センターへ強制送還してしまうべきか
社会的にそのような判断に対しての意見は絶対纏まらない
それでも個人的に自由勝手にどちらかを選択できる位のことには いずれ個人主義民主着の社会では落ち着くでしょう
生きるも死ぬも自分勝手 そうなればホーキングもタダの普通人で 差別のない社会的処方になります
安楽死センターは誰もの要望を叶えてくれると言う事になる
話変わって 昨日のJR神戸線の飛び込みで 31本が運休 30本が遅れ 1.9万人に影響があったとある
安楽死センターがあれば避けれたでしょう
いのちの電話では物足りないのです
自らが生きる価値があるかないか 考えもせずに生きることは情けないし格好悪い
そのようなトレーニングは 子供の時から哲学するフランスに見られる
考えずに生きることをみっともないとお互いに考え合う社会になることはフランスやオランダに教えられ 日本にも遅かれ早かれくるに違いない
ホーキングは格好いいと言える
しかし老人ホームのセレブな痴呆者をみっともないとみるか なかなか難しい問題です
まだまだマイクは勉強が足りない


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