2017/11/30「相模原も座間事件も放ってはおけない」をこの前の書き込みの後 如何したことか もうひとつのアメブロの10分の一も訪問者のないこのteacupブログにアメブロの10倍も訪問して頂いた
しかも友人からコメントとまで頂いた
コメントスペースが足りないので こちらにも返信を続けたいと思います
友人からのコメント
健康者の自殺
その道の達人に問題提起とはおこがましいのですが、最近考えたことです。
私は生きるのがつらい人(寝たきり状態、激痛など)の安楽死には賛成です。
植物状態になる事が予想される人も肯定します。
しかし健康な時に自殺することには、疑問があります。
人間は生きたいという本能が強く、それに抗して自殺するのは、大変エネルギーを必要とします。
そういう努力をしてまで自殺する価値があるのか?と疑問を持ちましたが、如何お考えでしょうか?
きっと以前に書いたものがあると思いますが、探す方法をしらないので、お聞きします。
マイクの返信
マイクの勧める安楽死は 終末期の無駄な延命を否定するだけでなく 終末期ならではの積極的な安上がりで楽しい事をエンジョイしてからの自死を勧めるものです
でも難しいのは 終末期の判定と誰もが楽しいと思うようなこととは何かです
マイク自身の終末期まで探し続けるだけでなく 老人は考えて欲しいのです
マイクは卑怯にも 身障者のことを持考えることを避けているのです
そこら辺のことは このブログ内検索で「身障者」「生きる価値」や「カール・ベッカー」で検索して頂くと マイクが悩んでいる様子が分かります
家族に恵まれた金持ちは延命で苦しんで死ぬのも結構なのですが 特に貧乏な老人は 平均2000万円の治療費浪費より 500万円を健保から援助して貰えれば 安上がりでも もう死んでもいいと言う程の楽しみを味わってから死ねる筈です
週4回の介護デイケアサービスですら 1割負担の2500円x4で 詰まり経費を月に40万円 年に5百万掛かっているのです
当初尊敬していたカール・ベッカーさんは「命にもコスト意識が求められる時代になると言われていましたが お抱え学者らしく言葉を濁されてしまっています
マイクも 障害者や介護老人にまで 生きる価値の考え方を広めようとしていますが 卑怯にも 身障者については避けるしか出来ません
そもそもマイクがこの問題を考えだしたのは 「自死と言う生き方」須原秀一を読んで 哲学者であり健全者が 自死を美化して死んで見せた著者の能天気を批判するためのブログでした
メメント・モリのチャンスを頂いたのですが 彼をまだ越えられないのです
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