以学館を開校致しまして8年目を迎えました。
教室に通って下さった皆様、関心を持って問合せて頂きました多くの方々に厚く御礼申し上げます。
HPの表紙からだけでは分らない教室でのエピソードや塾長の思いなどを綴ってみたいと思います。
2006/6/19
昭和といえばデモ行進でありました。
声高にシュプレヒコールを繰り返しながら何百人と練り歩く行列・・。
が、最近はとんと見なくなったであります。
表がやけに騒々しいので覗いてみますれば、正しいデモ行進ではありませぬか。何年ぶりに見たでありましょうか。。


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2006/5/17
「ローマの休日」でオードリヘップバーンをのせて走るヴェスパ。イタリアの石畳と相俟って実に素敵でありました。以来、いつの日かスクーターなるものに乗ってみたかったのであります。
学生時代は自動二輪の免許がありませぬでしたので、スポーツタイプの50ccで我慢しておりました。京都と富山を往復したり、それはそれで貴重な足でありました。社会人になってから、中型二輪免許、限定解除(いわゆるナナハン免許)と取得し、750cc3台、400cc2台、250cc3台など、いっときはかなり二輪の世界に傾倒したでありまする。
が、スクーターと125ccのバイクには乗ったことがないのでありまする。由来、125ccは一番中途半端で不要なカテゴリーであるように思っておりますた。車検がないメリットであれば250ccの方がいいであります。どうせ高速を走れぬのであれば原付も同じであります。が、寄る年波、歳月は人を変えるのであります。
速いバイクも気軽なバイクも飽きますた。大きいバイクも小さいバイクももう要りませぬ。125ccのスクーターがイイのでありまする〜(^_^)
マイ・スクーター〜 全長1920mm

リアトランクも購入〜


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2006/4/18
学研から出ております「大人の工作」、実に趣き深い鉱石ラジオやらエジソン蓄音機やらが目白押しであります。な・ななんと、昔ながらの真空管ラジオが出ていることを知ったであります。買おうとしましたら、どこもかも売り切れでありました。1万台限定で完売したそうであります。ヤフオクにわずかに残っておりますが、定価8800円の品に19800円や9800円の値をつけておりまする人まで・・。
が、某所で見つけたであります。それも7650円であります〜。
学研HPより:
このラジオでAM放送を聞くと、非常に独特な、あの懐かしい柔らかい音がスピーカーから出てきます。再生検波式という回路を踏襲しているので、スピーカーから出るピー音(50歳以上の方には懐かしい「うなり音」)を確認しながら選局する、独特のチューニング方法で、レトロ感も味わっていただけると思います。
http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/vol18.html
完成の暁には、教室に飾りまする〜(^_^)
このレトロ感!

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2006/3/6
正しい昭和ネタでは、熱いお話をたくさん頂き感激いたしたであります。世は変われど変わらぬ古き良き時代。皆々様のお心の中に脈々と息づいておりますことは、実に素晴らしきことであります〜。
そこで、かような良き時代の逸話でありまする。
ちと、やばいのでありまするが、もう時効でありましょう〜。。
まずは、コメント欄に書きました駅前にありました桝常旅館の話であります。
その昔、駅前交番の巡査殿が(昔は巡査は偉かった)、桝常旅館に巡回に(さぼりに)来るそうであります。カツ丼でおもてなしをしますると(勿論、ただで)、ひっくりかって高いびきで昼寝をしていくそうであります。拳銃、吊ったままで・・。今なら、即刻、懲戒免職でありましょう。。のどかな時代でありました〜〜〜。
次は警察勤務時代、退職間際の大先輩から伺った話であります。
警察も他の職場と同じように、まま宴会がありまする。そろそろ出来上がって盛り上がってきたところで、「おー、パトカーでドライブいこう」となったそうであります。まだ車が珍しかった頃でありますので、皆大喜びで、真っ赤な顔でパトカーを疾走させたそうであります。すると、向かいから他署のパトカーが走ってくるではありませぬか。さすがにヤバイかとビビッタそうであります。ところが近づいてみれば、相手も皆、真っ赤な顔で、やばそうな表情を浮かべていたとのこと。そういえば、隣接署もその日が宴会だったそうであります〜。
戦後間もない頃の話でありまする。
実に正しい(?)、古き良き昭和でありまする〜〜〜
いにしえのパトカー〜


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2006/3/4
事務局長殿からコメントで頂きましたお話が、またまた実にリアルでありますので、本編に追加であります〜。
県庁前の幸町あたりの「ふんすい小路」?でしたっけ。あの飲み屋街もナカナカ昭和の色合いが滲み出ております。
しかし、昔の市の中心部は華やかでした。映画館も沢山ありましたが、大型店舗もそれなりにありましたね〜。タイヨー、長崎屋、丸大・・・丸大は大和と合体工事したのは衝撃的で出来事でした。アピタになってしまったユニーも出来た当初はデカカッタ。109とかウィズとかもありましたね(これら昭和でしたけっけ?)。そうこうするうちに西武百貨店も今月いっぱいでサヨナラです。大火事で西武ができる前はあそこに東京亭本店があって、ヤキソバが美味かった記憶が〜。
大型店舗と言えば、音の思い出もありますね。大和のミュージックサイレンは良かったですねー。21時のアニーローリーが遠くから聞こえてくるとナントも穏やかな気持ちになりました。日曜になると空で飛行機がぐぅぉぉ〜んと軽やかな音を奏でつつ「タイヨーへ行こう〜! でぱぁああとタイヨォォ〜♪」などと流してるのを聞いて、これまたナントものどかな休日の気分になりました。
華やいだ西町総曲輪とは裏腹に、駅前は怪しい輝きにミチミチておりました。駅前シネマや富劇周辺はもちろん、何と言っても須田ビル(現CIC)の裏手の闇市! 通路に伸びたズワイガニの足が裸電球にギラギラ光る独特の世界でした。迷路の中の本屋は高校生の拙が成人誌を立ち読み(見)するのを微笑みつつ黙認してくれたオヂサンがいました。アミューズビルのあたりに電化の三共があって、中の喫茶店で補導される生徒が数知れず〜。そういや中高生は喫茶店も入ってはイケナイ時代でした。現マリエあたりにあった国鉄の官舎の中の雑然とした小さな店々、αー1のところにあった桝常食堂あたりもいい雰囲気でした。
お〜〜〜!!
軽飛行機の宣伝、大和のミュージックサイレン、電化の三共・・
何十年、記憶の奥底に眠っていたものが鮮やかに蘇ったであります〜。
三共で、自作したスピーカーのサランネットを買ったであります。中学生のときでありました〜。国鉄界隈には物資部(ブッシブ)がありましたですね〜。(漢字と結びついたのは随分あと・・)
飛行機で流れたタイヨーの旋律、どんなでした??
様子はありありと覚えておりまするがメロディーだけ出てこませぬ。。

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