「旬 菜 里」は、旬に採れた季節の野菜をお届けするのと同時に、旬の野菜を使った料理や、旬の野菜を栽培してくれている農家の皆さんを取材しながら、皆さんと供に、旬な野菜について語り合うコミュニティを目指します。
旬菜里は季節ごとの旬の果物・旬の野菜の千葉の山武の名物通販店です。

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2012/8/22

父の思い出  
父はとても器用な人でした。

寿司職人としてはもちろん、植木職人としても引退してから技能試験で一級をとった。
鎌倉彫も助教授の免除持っていたし。
住まいやお風呂場など、自分で作ったこともある。
努力家だったと思う。

鎌倉彫の作品はたくさんある。
一番大きなものでは知り合いの娘さんへの嫁入り道具として作った鏡台。
残念ながらわたしはこの作品の完成はみていません。

わたしの嫁入り道具として持たせてもらったのが、毎年御披露目しているお重箱。
これは私がデザインした牡丹を父が彫り上げてもらったもの。

そんな器用な父でしたが、なぜか生かすことができなかった。
もったいなかったなって思います。


毎週、週末に行くと父は自分で考えた料理を食べさせてくれていました。
でもなんかおいしいとは言えるものではなく、おいしいとは言えなかった。
年をとると味覚も衰えてくるものです。

また、よくセブンのレシートについてくるガソリンの割引券、何枚も貯めて私にくれたことがありました。
この間父の寝室で通帳を探していたときに、クリップにとめているレシートを見つけました。
これも多分私を喜ばそうとして貯めていてくれたんだよね。

今思うともっともっと喜んであげれば良かったな〜と。

「おいしいよ!もっとちょうだい」と言ってあげれば良かったと。
そんなこと今思っても遅い。
いつもいつも母のことを頼むばかり、母の衰退を防ぐために否定してばかりいた自分。
ストレスになっていただろうな〜と感じます。

もう後戻りはできない。
でもやっぱり後悔してしまう。
思ってしまう。

父は結婚するまで毎年旅行に連れて行ってくれました。
よく出かけたのは伊豆。
遠くだと、飛騨の高山や上高地、三陸海岸、長野。
今の私の年を越えていたはずなのに、一人運転して連れて行ってくれました。
今思い出すと新緑がきれいな光景が浮かびます。
そして寺院。
永平寺や善光寺、中尊寺。
永平寺は母の実家のお寺の大本山。
祖父が修行したお寺。
そんな旅行も私たちのために、そして母を喜ばせようと連れて行ってくれたんだよね。

そのころの父の年になった自分。
何を思い旅していたんだろう。

落ち着いたら父と旅した場所へ訪れたいな。
そしてそこで何を思ったのか感じたい。

父は多くを語らない人でした。
何を思い、何を考えていたかわからない。
自分を押し殺していたようにも思います。
怒ったこともありませんでした。
母はよく「ずるい」と言ってましたが。

今年80歳の誕生日に父へうなぎをプレゼントしました。
その時の嬉しそうな顔が今も目に浮かびます。

今日は父の三七日。
文殊菩薩の審判が下されるそうです。

添付した地蔵さんは父が20年くらい前に掘ったものです。


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2012/8/14

母の思い  
母は5年前から足腰が自由がきかなくなり、寝たり起きたりの生活を送ってました。

きっかけは極度の便秘。
腸に便が固まり、母は苦痛に耐えていました。
その時寝たままになったことで筋力が落ちてしまったんですよね。

幸いにもインターネットで薬を処方してくださる漢方薬局を見つけ、その薬を飲むことで母はよくなってきました。
痔もひどくなっていたのですがよくなったようです。
利用したのは福岡にある太陽堂さんです。
直筆で診断してくれるます。離れていても気功でわかるそうです。

それでも一度筋力が落ちた母は日に日に衰えて行きました。
先月終わりには支えても立てない状態になっていました。

3年前介護認定を受けて要介護3に。
去年は4になってしまいました。

母は介護の認定を受けることさえ拒んでいましたが、私のためだと受けてもらっていました。
昨年には介護施設の利用も考え、近所にある小規模多機能の施設にご厄介になっていたのですが、2回行っただけで行きたくないといいだし、訪問介護に切り替えました。
それも嫌がっていましたが、母の体調管理のため毎週水曜日に来ていただいていました。
それに父が17年前心筋梗塞で倒れたこともあり、父のことも心配だったからです。

最近ではお風呂も、さらにオムツ替えさえも嫌がるほどに。
それも今年の冬、父が体調の不良を訴えたのがきっかけだと思います。
7月に入り週末は私がお風呂に入れるようにしました。
シャワーキャリーを購入して、主人に脱衣場の段差を無くす修理をしてもらったりしていました。
シャワーキャリーも結局は1回しか使えませんでした。

お風呂に入れるときは「嫌だ」と言ってたけど、帰りには「ありがとう」と言ってくれた母。

もっと介護施設をうまく使ってくれたらいいのにと思っていたのですが、日頃から他人の世話になるのが嫌いな母には無理なことでした。

でも契約していたおかげで父や母の発見の手助けをしていただくことができて助かりました。

母みたいに拒む老人も多いと思います。
その辺りうまく支援してくれる仕組みがあればな〜と思いました。

中には拒でいた老人がヘルパーさんにお世話してもらったら受け入れた老人もいるます。
相性があったんですよね。
こればかりはやってみないとわからないものです。

話はかわりますが

母は神奈川県の寒川町にある福泉寺の四女として生まれました。
母は祖父をとても尊敬していました。
いずれ自分たちは福泉時のお墓に入るんだとお墓を購入していましたが、私や妹が結婚した後、母は営んでいた寿司屋「鮨正」を閉じ、寒川の地を離れ、お墓を返してしまいました。

そして実家とも連絡を途絶えさせ、わたしたちにも「行くな」と言ってました。

そんな母だったけど、やはり実家への思い、いや祖父への思いを断ち切れずにいたのか、祖父が書いた名言と写真がタンスの中から見つかりました。

「いつまであると思うな親と金」
「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」

実家にかかっていた色紙でした
私はそれを今両親が住んでいたマンションに飾りました。

母の本心はどこにあったのかはわかりません。

先日父や母の導師を勤めていただいた僧侶さまに「いずれわかる日が来ますよ」と言われました。
多分、私たちが老いたときに母の気持ちもわかるんでしょうね。
「子を持って知る親の恩」ていいますものね。

明日は父の二七日。明後日が母の二七日になります。

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2012/8/9

母の初七日  
今日は早くも母の初七日。
父は昨日でした。

昨日、今日と納骨した仁王尊にお参りしてきました。

初七日、二七日、三七日…、四十九日と七日、七日に法要があるのは七日、七日に審判がくだされるから、よい審判がくだされるようにするために祈るんだそうです。

初七日は不動明王で、七人の仏様に審判されるそうです。
五七日は閻魔大王だそうです。裏を返すと閻魔大王は地蔵菩薩だそうで。
七七日は薬師如来。

だから四十九日は極楽浄土宗に行けるかの審判なので大事な日だそうです。

父の戒名は「道正」で母は「妙正」とつけていただきました。
父は昔鎌倉彫で学名をもらっていて、追号で「征岳」をつけて頂くことに。

お位牌を無垢から漆塗りのお位牌に移すときに戒名変更をしていただく予定です。

今、お位牌は我が家の離れにあります。
ようやく母は私の家に来てもらえるようになりました。

四十九日まで、父や母を守って行こうと思います。

四十九日が過ぎたら、お位牌も仁王尊に収まります。
そうしたら私たちはお任せする形になるので
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2012/8/8

葬儀のこと  
随分前から母から「葬式やるな、火葬場から納骨すればいい」と言われていました。
でもやっぱり葬儀は大事で、残された者たちのためにあるものだと実感しました。
死を受け入れるための準備

警察から引き取り許可がでたときのために葬儀屋さんを手配しておいた方がよいとアドバイスいただきました。

すぐに義母のときにお世話になった葬儀屋さんに連絡。
家族葬儀でお願いしました。

本当はマンションでやりたかたったのですが、棺が無理で、それに暑さもあり、自宅に置いておくのは無理な状態でした。
葬儀の日まで霊安室に預かってもらうことに

ただお線香をあげれるのはわずかな時間帯
寂しかったけど、父と母で二人一緒だものね。
最初に行ったときに、供え物や花がないことに気づき、翌日には畑の野菜や好物のおはぎ、花籠を持って行きました。

生前母から頼まれていた着物も着せていただけました。
義母のときはかなわなかったのですが。

霊安室に入ってからことはスムーズに運びました。
火葬の時間がもしかしたらずれるかもと言われていたのですが二人同時に、それも隣同士で

そんなに仲のよい夫婦だったのかな〜。
もしかしたら母が介護状態になったことで絆がつよくなったのかも。
母が父を必要と感じてきたからなのかも
私がお風呂に入れていた時、母がよく「お父さ〜ん」と助けを求めていました。
母が元気なときは有り得ない光景でした。

通夜の日は嵐のような天気が夕方には小雨になり、葬式の日は晴天でした。

母から質素にと言われていてけど、やっぱり花は飾りたいと。
妹や主人にも供えてもらいました。
会社から連絡が入り、社長、副社長と事業部長からも届いた。
さらに妹の友達から連絡が入り、花を送りたいと。
最初ちょっと拒んだんですが、いいかなって思えるようになり、アレンジメントが妹の友達やKYOさんから送られ、祭壇は華やかになりました。

出棺のときにきづいたんだけど、供え花がないと棺に入れる花が少なくなっちゃうんだね。
おかげで二人を花いっぱいで飾ってあげれました。
二人だったから余計だったかも。

通夜の膳(通夜振舞い)には僧侶さんも同席してくださいました。
檀家でない我が家ですがとても親身に話を聞いてくださいました。

妹から母を分骨したいと相談を受けていました。
それは母の実家のお墓に入れたいと。
そのことを僧侶さんに相談したら、結論を急ぐことはなく、ゆっくり家族で話し合えばよいと。
納骨堂だからいつでも分骨できると。
妹の気持ちは焦ることない、そう思えたようです。
結果、今は分骨しないと言うことになりました。

そしていろんな父たちの話をしたました。生い立ちの話を聞いていただいて、それにまつわる話をきかせてもらって

突然の死で悔いがたくさんあるけど、それはこれから解決していけばよいとも言われました。
そして言えなかったことも今からでも言って遅くないとも。

私は出棺のときに父へ「ありかとう。お父さんの娘に生まれてきて良かった。もっと太巻きたべたかった」と
母には「ありかとう。お母さんの娘に生まれてきて良かった。いっぱいいろんなこと教えてくれてありかとう」と声をだして花を詰めました。
そして火葬の扉が閉まる瞬間もう一度「 お父さん、お母さん、ありがとう」と声にだして言えた。
自分にとって言えなかったこと最後だったけど言えた。伝えることできたと思う。

母が拒んできた介護、そして納骨のこともひとつづつ紐解いていけばよいと言われました。
多分、年を重ねることで親の思いがわかってくると言う意味ですよね。

不思議ですよね。導師さまの話を聞いていくとどんどん気持ちが楽になってきて。
あんなに涙止まらなかったのに。

これも導かれたのかな?
こんなにもっと話を聞きたい、そして聞いて欲しいと思ったことはないです。

話を押し付けない話し方。
決断をするのは自分と教えられた。

父や母で失ったものも大きいけど、得たものも大きかったと思います。

この4日間たくさん考え、悩みました。
とっても長い、重い4日間でした。

斎場の方もとてもよくしていただけました。
二人でも料金は倍じゃないし。
家族葬儀でも同じだけ時間かかるし。
本当に本当に私たちがやって欲しいことをやってくださっていて。

家族葬儀だったから湯棺人(世話役)がいない分、直接斎場の方と打ち合わせなければならなかったからなのか

いいお葬式でした。
父や母をしっかり送り届けることができました。

関わってくださった皆さん、ありがとうございました。
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2012/8/7

父と母が他界しました  
長い間、ご無沙汰しておりました。

実は2日に父、3日に母が他界しました。

父はトイレで急性心不全(心筋梗塞の疑いあり)で亡くなり、介護状態の母は面倒を見てくれていた父が亡くなってしまったことで翌日熱中症のため亡くなりました。

発見したのは京でした。

土曜日から旅行に行くため文鳥を父に預けに行った日のこと
何度も電話しても出ないので祖父の所に直接行っても応答なし
異変を感じた京は私に電話
父の家の鍵のある場所を伝え、開けるとドアロックがかかっており、でもTVの音は聞こえると電話で伝えてきた
声かけても応答なし
急遽、母の担当してくれているケアマネさんに連絡
そして管理人さんに連絡
ドアを壊して入ることをお願いしたら隣の方が帰宅して、京はベランダから侵入
倒れている父を見つけました

救急車を呼んだが、すでに父も母も亡くなっていて
警察への連絡となりました

私は身辺の仕事を片付け、すぐに帰宅しましたがすでに父や母は警察へ検視となりあえず
事件性がないことが証明されないとかえれないと
父のゆうちょの通帳が見つからず、翌日主人と部屋をさがし、ようやく見つかり土曜日の夜に引き取りになりました

父が亡くなってから3日が過ぎていて、暑さもあり、父の容貌は変わっていて、別人のようでした。
母は発見が早かったこともありそのままで

父や母に会ってから涙が止まらなくなり、もう話すことも、私の作った野菜も食べてもらえないんだと思うと辛くて

水曜日に介護の方が来たときはなんでもなかったようでした。
父は木曜日の朝、コンビニで買い物していて、その後亡くなったようでした。
心筋梗塞予防の薬は1日の朝までしか飲んでなかったよう。
そして私が部屋を確認したときになぜか冷蔵庫にのりや爪きり、ハサミが入ってました。
きっと体調の異変があったように思います。

たった1日の空白の日。
たった1日なのに暑さが母の命を奪ったんだと。

いろんなことを考えると、母の枕元にはワンプッシュで私に電話できるようになっていました。
母は父の異変に気づいていて、母は父と一緒に旅立つことを考えたんではないかと。
あくまでも推測ですが。
父が亡くなり、自分が残ってはと…


ケアマネさんの話では、母いつも寝ているような状態で、助けを呼ぶような姿もなく、片方の手を胸に当て、片方の手は太ももにあり、眠ったように死んでいたそうです。

もしかしたら母の様態がよくなく、父が母のことが心配し、心拍が上がり、心筋梗塞を引き起こした可能性もあるかもしれません。
冷蔵庫に入っていたのりやつめきり、父が動揺して入れたのかもしれません。
自分の薬も飲まず、新聞も死んだ日は取ってなかったようです。

妹は京にとても感謝していました。
もちろん、私も主人も。
もし京が訪れ、異変に気づかなかったら。
母も父と同じようになっていたと。いや、それ以上だったですよね。

もし京が午前中に訪れていたら…
多分、母の息はあっても助かる可能性は低かったでしょう。

葬儀は父や母たちの意向で家族葬で行いました。
参列者は私の家族と妹家族、そして義妹家族のみ

以前記事にしていましたが、2006年に契約した納骨堂のお寺の僧侶にご導師さまを勤めていただきました。

通夜の日中は大雨洪水警報が出るくらい大雨だったのに、夕方には小雨になり、葬儀は晴天

私たちの気持ちのようでした。
ご導師さまと何度か話して行くうちに父や母の死を受け止めて、そして今日を区切りに乗り越えて行こうと言う気持ちになってきました。
不思議ですよね。
こんなに気持ちが楽になって行くなんて。

父や母たちの選んだ道、ひとつづつ紐解いて行こうって思っています。

父や母のことを知っている方へ
連絡できずすみません。
父や母たちが望んだことと察しください。

父や母は今日、芝山仁王尊に納骨いたしました。
納骨堂で眠っております。
もし訪れる機会がありましたら父や母に手を合わせていただけたら幸いです。

後悔、いっぱいあるけど、後悔していては前には進まない。
私は前を向いていきます。
冷たい人だとおもわれるかもしれないけど。

そして祖父母を発見した京は元気です。
精神力の強さに脱帽しています。

ツィッターでのつぶやきで心配してくださった方、ありがとうございました。
ご自身の身内の方を亡くされた時のことが重なり、どう声かけたらいいかわからない方もいることもわかっています。
たくさんの方が心配してくださっていることも。
ありがとうございます。

私は元気です。大丈夫です。

四十九日まで父や母のために勤めたいと思っています。

昨年の東北大地震で多くの方が亡くなり、いまだに消息がわからない家族は友達がいると聞きます。
突然の死でしたが、こうして父や母の身体がある状態で葬儀を行えたこと、感謝しなければいけませんよね。

もしよかったらココへコメントを残してください。
父や母への供養にもなります。
よろしくお願いいたします。
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