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2012/9/19

父と母の四十九日  
父と母の四十九日の法要を日曜日に済ませました。

父と母のお位牌は芝山の仁王尊へ
仏壇はこれから先、仁王尊になります。
彼岸もお盆もお参りは仁王尊に。

とても複雑な思いです。
私は父と母の仏壇をお世話することはもうできない。
長女として、跡取りとして生まれてきた私だけど、その役目を果たすことはできなかった。
自分が選んだ道だけど。

せめて近くにと思い、父と母を千葉によんだけれど、果たしてそれが本当によかったのか。
慣れ親しんだ土地で最後を迎えた方がよかったのではと悔いていました。
そんな思いを四十九日の法要が終わった晩にみんなに話しました。

多分、父や母にとって、娘の嫁ぎ先の地にくることは屈辱的なことだったと思います。
とくに母は何度も飛び出して行こうと思ったに違いないと。
まわりは「親孝行な娘さんですね」と言っていたようだが、父や母の思いは違ったと思う。

父や母は娘孝行のため、来てくれたんだよね

そんなことを話していたら、主人が
「おばまさん(母のこと)から、『もし千葉に来ていなかったらおじま(父のこと)あのとき(17年前心筋梗塞で倒れた日)死んでいたと思う』と言っていたよ」そうだ。
理不尽だが、救われた思いだった。
自分がしたことで父が17年長生きできた訳だし。

そんな持病を持っていた父だから、母が動けなくなってから、二人がともに倒れないように気をつけてきました。
毎週、訪れ、健康状態を見ていました。

今年に入り、父が体調不良を訴え、外出もしなくなり、自分として焦りを感じていました。
父の負担を減らさないとと。
でも母は介護施設の利用を拒んでいるし。
どうしたら生きようと気持ちを持たせてあげれるか模索していました。
でもわたしが焦れば焦るほど思いとは逆に。

母は私に「怒った顔しないでよ。笑ってよ」と何度か言っていた。
私が来る楽しみから、だんだんと苦になっていたんじゃないかと。
「臭うからお風呂入ろう」と無理やりお風呂に入れていました。

母もだんだん口を閉ざすようになり、話もしてくれなくなっていました。

益々私は焦り始めていた。
何度もこれでいいの?母の思うようにさせてあげた方がよいのでは?と自問自答していた。
今、何か起きたとき後悔しない?と。

そんな思いも届かず、自分が描いた最悪な状態になってしまった。

主人に「きっとおばまさんはざま〜みろ」と思っているよ。
「いづみの思い通りにはならないさ」と。

だよね。

遺品を整理していたら母の日記を見つけました。
5年前に書いたものでした。
しばらくして母は字も書くことができないほどになってしまいました。
多分最後の日記だと思う。

体が不自由になりつらいことが綴られていました。
そして最後に「楽しみはない」と。

だから、だから、今私はやれることたくさんやろうと思う。
介護する立場から解放され、父や母に与えられた時間だと思っています。
母の年まで自分も後27年。
自分がやりたい、行きたい、会いたいを無理なく実行しようと思います。

父や母から学んだこと、誇りに思い生きて行こうと思います。


今日は父の四十九日。明日は母。でもきっと父は門の前で母を待っているでしょうね。
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