鞆の石畳(56) 医王寺の石畳
石畳めぐりの途中でミステリークイズのイベント看板に偶々出くわした。山の上に上るのはパスしていたが、やっぱり遣り残しがあるとスッキリしない。今日は残り全部踏破する気、山登りの強い決意で鞆入り。軽トラは操業準備中の鉄工所に置いて自転車で先ず對潮楼(広島県福山市鞆町)へ行き、城山の途中に自転車を置いて、歴史民俗資料館。階段を南に下って、大波止に確認に行って、最後は医王寺の山登りとコースを決めていた。
な〜んだ、こんなところにあったのか!

渡船場の前でひょっと山の方を見たら「むろの木歌碑」のところにA番の看板があった。山の上だとばかり思い込んでいたのに、こんなに目の前だったのか。それじゃあ予定変更して先に大波止の看板を確認して、医王寺の山登り、最後が城山の資料館だ。
大波止の手前の街灯支柱に取り付けられたクイズの看板

昨日はまだ設置されていなかった。波止の先端では危ないと思っていたら、みんな同じことを考えていたらしく、ほっとした。
医王寺の石畳



医王寺の石畳は参道だから長方形の御影石が敷いてある。長方形の長い方が進行方向になるようにデザインしてあるようだ。坂の途中、左手に医王寺の駐車場があって、数台停められるスペースはあるが、一体どうやってこんな狭い道を車が上がって來られるのか。よほど石垣の石の凹凸一つひとつにも詳しい人で、よほど小さな軽自動車でなければ、こんなところまで入れない。
医王寺のさらに上に太子堂がある。眺望のいいところだそうだ。前回は「崖の上のポニョ」の宗助の家のモデルになったところまででそれより上には上がらなかった。今日は山登りの気合い満々だから行ってみることにした。
後悔した。もっと上のグリーンラインからはるかにすばらしい眺望が開けている。昔はなかったから鞆一番の景観のように言うが、今はさらに上の展望台まで簡単に車で行ける。そういう時代なのだ。
石段に番号が刻んである。路傍には新四国八十八箇所霊場を擬したお地蔵さんが幾つも据えてある。参道の石段はきれいに掃き清めてある。その親切に対しても登らない訳にはいかないだろう。
途中で箒目がなくなって落ち葉が散らかっている。傍らには竹箒が立て掛けてあった。出迎えの親切はここまでで、ここから先は仏心があれば自分で石段を掃き清めたらとでも促しているのだろうか。
「立てかけてある竹箒を手に一段だけ掃いてみる遍路道」
石段に番号を振ってあるのは心憎い。全部で583段あるが、途中で番号が飛んでいる所や一段の左右に2つずつ番号が刻んであるところなど、得した気分というか、修行の道にも奥の手、隠し玉があるのかと、考えているうちに気が紛れる。
「どん栗の枯葉を払ひて見れば五七八段」
宮城道夫の隣にクイズB番

城山には裏の北側から上がった。坂の途中に自転車を置いて、いつもとは違う搦め手の道はちょっともの珍しく映った。宮城道夫の銅像の横にB番の看板はあった。全部確認したのでもう安心です。
ついでですから次回は城山から石畳を下って、いせき洋服店から法宣寺下に出る道を行ってみましょう。

para1002n(ぱら仙人)


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