広島にいて原発廃止に異を唱えるのは大変心苦しい。百家争鳴とまでは云わないにしても新政党乱立で政策論議がかしましい。
原発擁護か廃止かもその一つ。一段と声の大きいのは、廃止論。それも即廃止論は感情的なほどとげとげしさまである。
そもそも、原発を廃止するにはお金がかかる。家庭で不要になったものをぽいっと捨てるように簡単ではない。家庭ごみのように焼却処理したり、埋め立てたりすれば簡単に解決するような手の物でもない。資源ごみとして回収して手間暇かけて再生再使用、再利用できるような代物でもない。
原発を不要になった大型家具扱いで論じることは、まともな人の思考回路じゃない。
東京都知事だった石原さんが東京は電気をたくさん使うから原発も必要です。東京のために、原発は廃止しないでくださいと云えば、それは単なるエゴでしかなく、誰からも相手にされなくなる。
だから核兵器も持てる能力があることを示して、北朝鮮や中国になめられないようにしないと、いかんと主張しているのです。
島を取られた後でいくら軍隊を強化しても、戦って奪い返すことはとても難しい。一旦取られてしまうと回復するには莫大な犠牲が伴うのです。
それよりは取られないようにする方が犠牲は少なくて済む。その為に核兵器を持てる能力をはっきり示すこと、それを行使できる仕組みを見せつけること、それが核兵器開発保有シュミレーションであり、軍隊構想であり、憲法改正論なわけです。
東京に電気が必要だから原発は止めないでくださいでは単なる大都市エゴですが、国土保全、領有権、主権問題にすれば、国民的国家的課題になります。結局、そういうことだったのです。
だから、維新の会の基本政策と矛盾するような発言もポンポン飛び出すわけです。本心を隠して喩え話でばかり物を云うと、結局そういうことに陥りますよ。本心は大都市エゴなんですな。
大企業エゴ、経済優先エゴ、勝者エゴ、大都市エゴ、根底には税金をいくら払ってくれるかその額にいつも顔が向いているのです。負担率じゃないのです。額がいくらかによってすり寄っていくし、切り捨てられるのです。
暴力団だって、きちんと恐喝税とか、みかじめ税、賭博税、覚せい剤販売税、人身売買税、などなどを納めて、高額納税者になれば、目の敵にされることはないわけです。
税金を納めない集団だから許せないわけです。官僚お役人の懐にお金をくれる人は優遇され、奪ってゆくものは敵同然なわけです。
消費税を値上げしても福祉に使うわけがないです。納税と福祉は収入と支出の丸反対でしょう。そんなことには一銭だって使いたくないですよ。お役人の懐が細るんですから。

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