極端な話をします。極端すぎるかも知れません。私は原発のプルサーマルを理想の形だと思っていました。資源のない日本で、ウランを使ってできたプルトニュウムがまた燃料となって使える。これを繰り返すと無限に燃料が補充できるようになる。資源のない日本にとって理想的な循環型のエネルギー供給源だからです。
燃料は無限でも、設備や施設は老朽化します。いつか廃棄しなければならないが、その時になって場所を探しても反対されて確保できない。そこで用意周到に新設大学を次々認可する手を思いついたのだと思います。人口が減って大学が余ることは分かっているのに次々と認可しました。山奥の土地を大学の用地として買い占めるのに住民の反対運動は起こりません。むしろ大歓迎だった。これは思う壺です。
やがて人口減少に伴い余った大学の経営が困難になると、政府が買いとって産業廃棄物の処理場に転用すればよい。山奥の人里離れた廃校大学の敷地は、うまくいけば核廃棄物の貯蔵施設にも使えるかも知れません。
黄色なのにオシロイバナ?
そこに降ってわいたように起こった原発事故で、周囲40`を危険区域に指定して人を追い出す。事故を起こして使えなくなった原発施設の地続きの広大な土地に二度と人が帰って來れなければ、核廃棄物の処理実験や研究施設を地続きで建設できるチャンスです。廃棄物を輸送する途中で反対運動の妨害を受けることもない。地続きなら立ち入り禁止区域に秘やかに静やかに必要な施設を正々堂々と国民のために建設できます。
元々廃棄する予定だった古い、時代遅れで効率の悪い、小さな原発1号機2号機3号機を廃棄実験施設に指定して緊急の事故処理の名目で国民のために正々堂々とオリンピックの後押しも受けながら核廃棄処理技術の研究と称して天下り組織も堅持し、一層強化できる絶好のチャンスです。
もう新設大学を認可して山奥の土地を買い集めさせる必要もなくなったのです。地続きの広大な土地をいかに合法的に国民のために確保するか。人々が二度と戻って來られないように諦めるように除染を遅らし、復旧を遅らし、時間を稼げるだけ稼いで、国民のために事故処理やその技術向上の名目で、正々堂々と天下り組織が堅持されるように、今後ものらりくらり杜撰な付け焼刃を繰り返し、移住や転職を本気で考えざるを得ないように仕向けていくのだと思います。
核廃棄物の処理は量を減らすためには濃縮して一カ所に凝集した形で最終処理に回します。水で薄めて国の基準値より低ければ安全として放出するのは拡散垂れ流しと云います。ベントと称して空気で薄めてじゃんじゃん放出。地下水の処理と称して漏れ出た核汚染水を海水や天水で薄めてじゃんじゃん放出。
漁業ができるということは漁民の住まいが近くにあるということでしょう。本当は漁民も畜産家も農民も傍にはいて欲しくないんじゃないですか。アメリカ主導の関税撤廃に乗っていくのもそのからくり仕掛けの一つの気がしてなりません。欲しいのは地続きの広大な土地であって、強固な既存の天下り組織であって、つつましい庶民の暮らしの回復じゃない。そんな気がやたらとするのです。

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