鞆の石畳(27) 太田家住宅(4) 朝宗亭
太田家住宅を見学した時、七卿落ちの解説がありました。国の重文朝宗亭の方は実際に人が住んでおられて見学できないのは致し方ないと思います。商家の方の母屋や蔵や釜場などを見学して、座敷で何もかも一緒にして説明を受けました。
説明しているガイドの方はちゃんと分かっていらっしゃるのでしょうが、本陣としても使用されていましたとか、七卿落ちの七名が泊まられたとか、聞いている側はこの商家の最上の間にお公家さんが來られたように思ってしまいます。如何に緊急事態とはいえ、商家の座敷にお公家さんが上がられたとは常識では考えられません。揺れ動く船よりは座敷の方が増しという考えもあるかもしれませんが、重病人でもないのに民家で横になるとは到底考えられない。
地方のお金持ちとしては周囲は人払いして誰も見ていないのだから
名誉な話は作ってでも伝えたい周囲の人たちの願望は理解できます。それでも、奥の最上の間は貴人(七人)を迎えるにはいかにも狭すぎます。それにそこまでどういう経路でご案内するのだろうか。テレビのカメラを切り替えるように船の場面から急に奥座敷の中という訳にはいきません。
田舎にはこのような摩訶不思議な伝説が必ずあります。資料も読まずに決め付けるのは不遜ですが、お公家さんと商家では身分格式が違いすぎます。ありえない話だと思います。
矢掛本陣にも清音亭という別邸があったように、商家の区画とは別に離れた場所に別世界が用意してあります。それが太田家住宅朝宗亭です。藩主がちょっと休憩に立ち寄られる場合とか特別高貴な方に提供するように普段は立ち入らない建て前になっている場所です。特別な区画ということで、お寺をお殿様に提供して本陣とするのも広いというだけではなく、世俗とは別の世界という雰囲気があるからでしょう。
いくらお金持ちでも商家の一角に間借りしたような間取りでは不都合で、お殿様専用の門や、駕籠寄せなどもなければなりません。店舗本宅側には町人の出入りする店の出入り口玄関しかありません。庭は蔵に囲まれて直接駕籠のまま入れないし、雪隠の前を横切るような通路からは出入りが出來ません。店舗側の配置は本陣としての体裁になっていません。
道路を隔てたこの別邸(朝宗亭)ならば都の貴人が揺れる船から降りてちょっと一息つかれることはあると思います。それでも三条実美卿ご一行はご不興の由、早々に船に引き揚げられたようです。ご本人の意思よりも、追っ手を振り切るために周囲が取った強硬手段であったかもしれません。後に実質明治政府を動かすのは長州ですから長州の働きに関わって伝承も歴史上価値あるように脚色されていったことは推測できます。
たとえば同じ出來亊が追われる立場を受け入れる場合は悪し様に対応しても共感を得られる状況に見える場合があります。その辻褄合せのためのエピソードも生まれてくるわけです。時代背景が変れば丁重にもてなすことが正義となるように変化します。同じ場面が表現の仕方でも変りますし、同じ文章でも解釈の仕方で内容が変った上に辻褄合せのエピソードが被ってくると全く違う場面にもなってくるのです。歴史記録そのものが身びいきの脚色が加わりやすい上に、巷間の伝承が互いに引用しあって伝わると、元の記録よりも噂の数の方が増えて、元の記録が対抗しきれなくなり、本当のことを云えば歴史が覆ってしまう。そういう事例はとても多い。特にお役所や著名な学者は立場がありますから、うかつなことがいえない。そのまま伝承が数で押し切ってしまいます。
歴史上の亊実は意外に平凡で当たり前の出來亊だったりして、あっと驚くような話は脚色されていることが多いようです。
鞆港の文化七年以前の海岸ライン

朝宗亭の東側と南側は海に面しています。写真の左端の常夜灯は安政六年に西町住民から寄進されたものです。写真右下の大雁木(階段状の船着場)は文化七年まではまだなかったと思われます。朝宗亭は文化元年頃には門屋、母屋、離屋の国の重文三棟が既に出來ていました。ですから、大雁木が築かれる前に朝宗亭の東の石垣土塀等はありましたからこの石垣ラインが鞆港で最も古い港のラインということになります。それ以外の施設は雁木分だけ前に出してあることになります。
手前の雁木は台風で崩れて現在では最下段から最上段まで全てコンクリートで修復され、勾配も多分当時よりも緩く改良されているはずです。
朝宗亭南の石垣
朝宗亭の南側の石垣です。土塀や石垣の継ぎ目が分かります。大波の力で崩れたところを修復して石垣の内側にしっかり栗石を詰めて補強されていると考えられます。


(写真左)表の石畳の方から見た朝宗亭の西向き玄関先です。写真の右奥が南。
(写真右)写真の奥が北です。カメラの背後(手前の長方形の石畳を辿って行った波止の先端)が常夜灯。右の建物は朝宗亭。向かい(左)が店舗本宅建物。モザイク石畳はここまでです。長方形の石畳は原則的には寺社への参道です。長方形の長い方が進行方向で、短い方へは進んでも何もないことを意味しています。・・・多分。

para1002n(ぱら仙人)


2