鞆軽便鉄道(87)
鞆街道(広島県福山市)は霞町四丁目F原生花店角を基点に鷹取橋、銭取橋を経て概(おおむ)ね堤防下の旧県道を通って水呑へ下る江戸時代からある古道です。鞆鉄道は水呑に入ってからはその鞆街道からしばらく離れて山寄りを通っていましたが、小水呑のS学会文化会館の東で再び街道に隣接して下ります。既設の道路の上に鉄道は敷きませんから、
鞆鉄道と道路(鞆街道)が完全に重なることはありえません。
基本的に新堤防は旧堤防の内側に築かれています。旧土手を削って低くした土と中州を掘った土で造られていますから運搬距離が短く、設計上は旧土手の法面の裾が新土手の法面の底になりますし、随分大きな土手が建造されたように見えます。建設設計上の予算規模からしても随分ゆとりのある工事といえます。何もないところに土砂を運んで來て築堤するよりもずっと安上がりです。
勿論中洲には住宅や工場、農地などがあった訳ですから、買収して浚渫する費用も計上されています。実際には大潮の干潮時に家の跡の根石とか井戸枠など生活の痕跡が確認できたそうですから、築堤に必要以上の掘削はしていなかったようです。全部掘ることにすれば莫大な予算が計上されるでしょう。新堤防の自然な傾斜に見える程度に旧堤防の頭を削り、不足分だけ中州を掘れば新堤防になるのですから、丼勘定でいかようにもなります。
水路脇の旧鞆街道に隣接した鞆鉄道跡に建ち並ぶ住宅

H野さん宅から2軒先にT字路があります。水呑幹178の電柱があるところです。ただそれだけのことなんですが、そこに建物があれば鉄道跡を横からしか眺められないけれど、路地は進行方向をみることのできる場所だからなんとなく得した気分になります。勿論、部屋の中だって、ここが鉄道の跡だと畳の上に線路を想い描いて鉄道の進行方向をイメージできないわけではないが、屋外の空間はリアルさが亦格別なのだ。見えない鉄道跡を見えるようにするといいながら、やはりそれらしい痕跡が残っていれば、実際に見えているものになき鉄道の面影を重ねやすい。まるきりの絵空事と手で触ることのできる感触ほどの違いがある。線で繋ぐことのできる空間というものは現場に行って見るとやはり迫力が違う。

para1002n(ぱら仙人)


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