あの時。
夫が近所の歯医者に行ってて。
猫がこたつの中で寝ているので、パソコンでゲームなんか
していたあの時。
突然、グラグラと揺れだしたので「また地震だ」と思ったのが
最初でした。
近年、宮城も大きな地震が何度かあり、震度5程度なら
経験してたのでなんとかなると解っていたし、30年に1度
来るという「宮城県沖地震」に対して地元では避難訓練や
心得などテレビでもやっていたので、乗り切れると思って
いました。
「これは震度5程度かな」と思いながら「少しでも揺れが
小さくなったら猫を出しっぱなしにしてあるキャリーに入れて
体勢を整えよう」と思ったのに、いつまでも揺れが続いて。
その時、女子猫がサーッと夫の仕事部屋に走り込んでいく
姿が見えたので「まずい」と思った矢先、突然経験した
ことのないユサユサと建物自体を何かが揺さぶるような
揺れが始まったのでした。
「何だこれ!?」と思う間もなく、台所や部屋のあちこちから
物が落ちる音と、何かが割れる音が次々と鳴り響き、
テレビが出窓から台ごと斜めに落ちてきて、いつまで
経っても揺れがおさまらなくて・・・・・
壁に身体を押しつけ「神さま、止めて!!」と
口に出しながら、目に見えない何者かが荒らし続ける
部屋を呆然と眺めていました。
ようやくなんとか歩ける程度の揺れになったときに、まず
男子猫を先にキャリーに入れようと、コタツの上に倒れ
こんだテレビを横目で見ながら、中で固まったままの猫を
キャリーに入れて、出口近くに置いて。
やっとおさまった揺れの後で、女子猫が飛び込んでいった
夫の部屋のドアを開けたのです。
そこは、今まで何があったのかわからないくらいの
部屋の中。
倒れた本棚から本や書類、パソコンや機器類がまぜこぜに
なって床が見えません。
とても猫が隠れているような隙間も空間も見えません。
半べそかきつつ猫の名前を呼びながら探していると、
夫が帰宅。
最悪の状況が頭をよぎり、二人で落ちいてる物を掻き分け
ながら探しても見つかりません・・・・。
他の部屋に逃げたかと、やはり物が散乱している中を
必死で捜索して。
30分も経った頃でしょうか。
夫が、ふと窓が少し開いていることに気がついたのです。
ふだんなら重いし開けないベランダへのガラス戸。
猫が脱走しないようにいつも締めっぱなしのガラス戸。
まさか・・・と思いつつ、外を見た夫の目に飛び込んだ
のはベランダ隅のゴミ箱陰に固まっているシマシマの
塊でした。
声をかけながらソッと抱き上げるとヒンヤリした毛皮の
感触。
どこか骨折でもしているかと触りまくるものの、痛がる
様子も怪我をしている様子もなく一安心。
まずキャリーバッグに入れ、一時的に安全な出口近くに
置いて少しだけ部屋を片付けて。
隣の部屋からケージと猫トイレを運び出して一息つくと
もう夜が近づいてくる時間になっていました。
全員玄関に近い和室にとどまって、猫をケージに移して
懐中電灯をつけて。
続く余震の中で、浅い眠りを幾度か繰り返したのでした。
次の日から片付けしながら生きられる装備を調えて、
長い夜を繰り返して。
幸い飲み水は災害に備えて小さいポリタンクなどに汲み
置きしてありましたし、トイレ用に風呂の水も使えたし。
前日に買い出しに行っていたので、こんな時なのに
食料だけは不思議と豊富で、逆に夫が炊事に精を出して
くれて。
(肉はキャンプ用コンロで煮込んだり干し肉にしたり、
冷凍物も順次食べ回して捨てることなく全部利用)
不謹慎にも、溶けたアイスと冷凍ベリーでデザートまで
楽しんでしまったり。
また頼もしかったのは、ベランダから見える地域の
集会所に町内会のベテラン達が炊き出しやら、避難所の
設営やらをテキパキとこなしていたこと。
農家が多いし、毎年炊き出しや避難訓練のイベントを
こなしているので手際がいいわ、慣れているわ。
地元備蓄の米も井戸水もあるので、炊き出しを待つ長い
列にも混乱せずに対応していたのでありました。
電気がないと、夜が長いです。
懐中電灯もラジオもあったので、怖くはなかったけれど
ニュースを聞く度に恐ろしい状況ばかりが聞こえてきて。
限られたバッテリー残量で、たまにパソコンでテレビは
見られたけれど、画像が小さかったのでどこまで本当
なのかが実感出来ません。
ローカルラジオ局では消息不明の家族や友人を捜す
アナウンスばかりが聞こえてきます。
3日目にマンションの上から、少し先まで街頭が点いた
のが見えて少しだけ安心しましたが、電気が復旧し
始まったとたんに消防車のサイレンばかり。
自宅に通電したのは5日目の夜で、やっと見られた
テレビの画像に震え上がりました・・・。
知ってる地名を言っているはずなのにガレキの山ばかり
だし、信じられないスピードで海が迫ってくる映像。
夫・母は海の近くに住んでいるのに、無事だったろうか。
悪い想像が浮かんでは消えて。
ガソリンも少ないし買えないので、しっかりした情報を
得てからではないと動けないのに電話も繋がらず・・・。
水道の復旧は もっと早かったらしいけれど、通電して
いないので建物自体のポンプが動かないので水も出ず、
電気の復旧と共に使えるようになりました。
電話はケータイもアンテナ基地局が停電で使えなかった
らしく、いつまで経っても圏外のまま。
ケータイのメールは早めに使えたらしいのですが、
電源が確保できない人達はたくさんの安否確認のメールを
読み込むだけでバッテリーがなくなるという状態もあった
そうです。
公衆電話なら・・・とラジオでやっていても、近隣の
電話もなぜかストップ。
携帯がまともに通じるようになったのは6日目、
固定電話が繋がったのは8日目の昼頃でした。
夫・母が無事でいるらしい情報は親族から。
「インタビューを受けていた。名前も出していた」と
いうことでした。
でも情報をかき集めても消息不明で、居所がつかめたのは
一週間も経って隣町の施設から本人が叔母に電話をかけた
から。
いろいろあったけれど、無事に生きていてくれました。
(現在は、同居中)
知っている範囲内ではとりあえず皆生きていてくれて
ました。
2週間経った27日現在でも、まだガスが来ていなかっ
たり、相変わらずスーパーで行列になっているけれど
なんとか乗り越えられそうです。
猫も無事だったんだしね。
この子たちが天寿を全うするまでは、まだ死ねない。
まだ、私に何か出来ることだって、きっとあるよね。
・・・うちの被害状況・・・
小戸棚の扉1枚、食器棚の扉が1枚破損。
シンク下の扉の付け根が破損。
食器の1/4くらいが割れた程度。
(細かい物で使えなくなった物は多数だけど)
住んでいるマンション自体は、大きめのヒビが入って
いますが施設的にはまだ大丈夫そうです。