1.富士山登頂1983.8.27
1.富士山登頂1983.8.27
今まで東京のど真ん中(銀座・築地)で仕事をしてきた私は、縁あって山梨県内全域担当の作業所長として赴任する。
丁度その時、富士山山頂測候所のメンテナンス工事もしていた関係上引継ぐ事になった。
赴任して間もなく当時韮崎でTEL社(東京エレクトロン)の工場建設も担当する事になり、そのTEL社の若い社員をつれて富士山山頂測候所の建設現場の調査に行った時の記録です。

ブルトーザ基地のある太郎坊(1合目)より、2台のブルトーザに乗り一路富士山頂へ向かう(その1)。

富士山頂へ向かう(その2)。
ブルトーザ基地から30分もするともう樹木が生えていない砂漠地帯となる。
生えているのは山アザミがポツンポツンと生えているだけ。

富士山頂へ向かう(その3)。
左の見えるこぶ山が宝永山でその右側に白く大きな線が見えるのが、下山ではこの道を富士山頂から一気に下山する大砂走り道です。

富士山頂へ向かう(その4)。
3〜4合目付近か?

約4時間弱で山頂へ到着。
ここでブルトーザから降り、自力で「馬の背」と言われる胸突き八丁(約200mくらい)の坂道を登ると山頂に着く。
ここは結構きつくゆっくり歩くと20分くらいかかる。

TEL社の若い社員と一緒に撮影。
手前の左側にいるのがこのメンテナンス工事を担当したW工業且ミ長、右側が当時の私です。

工事中の渡り桟橋。

皆と一緒に下から持参したお弁当で昼食。
気圧が低いせいか、おつまみに持参したポテトチップやカッパ海老せんの袋はポンポン風船になってしまう。

工事名看板。

TEL社社員と一緒に撮影。
右側にいるのが我がT社の富士山山頂常駐のM工事担当者です。
彼は山頂に約2週間は滞在している。

TEL社社員と一緒に撮影。
右側にいるのが私です。
ここが日本で一番高い見晴台であり、富士山頂三角点より5〜6mは高い。

TEL社社員と一緒に撮影。

富士山頂測候レーダードームと共に。
今はこのレーダードームは取り除かれ山梨県の「道の駅富士吉田」の脇に移設され記念館として保存している。

TEL社社員と共に測候所の前で。

初めて富士山登頂の富士山測候所の記念スタンプです。

冨士山頂三角点前にある記念塔の前で、
当時山梨県建設現場の元の上司であるI工事長と共に撮影。
私もこの頃は若かった。
青葉の百姓 2005.07.31記
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今まで東京のど真ん中(銀座・築地)で仕事をしてきた私は、縁あって山梨県内全域担当の作業所長として赴任する。
丁度その時、富士山山頂測候所のメンテナンス工事もしていた関係上引継ぐ事になった。
赴任して間もなく当時韮崎でTEL社(東京エレクトロン)の工場建設も担当する事になり、そのTEL社の若い社員をつれて富士山山頂測候所の建設現場の調査に行った時の記録です。

ブルトーザ基地のある太郎坊(1合目)より、2台のブルトーザに乗り一路富士山頂へ向かう(その1)。

富士山頂へ向かう(その2)。
ブルトーザ基地から30分もするともう樹木が生えていない砂漠地帯となる。
生えているのは山アザミがポツンポツンと生えているだけ。

富士山頂へ向かう(その3)。
左の見えるこぶ山が宝永山でその右側に白く大きな線が見えるのが、下山ではこの道を富士山頂から一気に下山する大砂走り道です。

富士山頂へ向かう(その4)。
3〜4合目付近か?

約4時間弱で山頂へ到着。
ここでブルトーザから降り、自力で「馬の背」と言われる胸突き八丁(約200mくらい)の坂道を登ると山頂に着く。
ここは結構きつくゆっくり歩くと20分くらいかかる。

TEL社の若い社員と一緒に撮影。
手前の左側にいるのがこのメンテナンス工事を担当したW工業且ミ長、右側が当時の私です。

工事中の渡り桟橋。

皆と一緒に下から持参したお弁当で昼食。
気圧が低いせいか、おつまみに持参したポテトチップやカッパ海老せんの袋はポンポン風船になってしまう。

工事名看板。

TEL社社員と一緒に撮影。
右側にいるのが我がT社の富士山山頂常駐のM工事担当者です。
彼は山頂に約2週間は滞在している。

TEL社社員と一緒に撮影。
右側にいるのが私です。
ここが日本で一番高い見晴台であり、富士山頂三角点より5〜6mは高い。

TEL社社員と一緒に撮影。

富士山頂測候レーダードームと共に。
今はこのレーダードームは取り除かれ山梨県の「道の駅富士吉田」の脇に移設され記念館として保存している。

TEL社社員と共に測候所の前で。

初めて富士山登頂の富士山測候所の記念スタンプです。

冨士山頂三角点前にある記念塔の前で、
当時山梨県建設現場の元の上司であるI工事長と共に撮影。
私もこの頃は若かった。
青葉の百姓 2005.07.31記
