前回のエントリーで紹介した朝ナマで、見事なまでのトンデモ理論を展開した民主党の「菅直人・元代表」ですが、実は手本にしたであろう書籍があります。番組中でも出ていましたが「国家の品格」という書籍です。
■番組から菅直人元民主党代表の発言を抜粋
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▼菅直人
マスコミが第一権力だと。民主主義における。
ですから
「国家の品格」を読んだら、民主主義なんてのは国民が賢いとことを前提としているけど残念ながらほとんどの国民はマスコミに左右されていて、とてもじゃないけれどマスコミに左右されない国民を期待するのは無理だと、もっとエリートつくれと書いてある
(ガヤガヤ)
▼田原総一郎
菅さんそれでいいの? 国民信用しないの?
▼菅直人
私は国民主権論者ですから。だって今日のこの議題…
▼田原総一郎
今なんでそれ紹介したの。
これは国民がダメだと言っているんだよ。
▼菅直人
その前を聞いて下さいよ。
国民が一番影響されるのはマスコミだと。だからマスコミに影響されない国民を期待したいのだけれど必ずしもそれは期待できない、それが正しいとか正しくないとか聞いているのではなくてマスコミがそれだけの第一権力をもっていることをマスコミ関係者は自覚するべき
▼田原総一郎
しかしマスコミは国民をリードしているのではなく、国民におべっか使っている。なんでライブドアや堀江を出すのか言えば視聴率があがるから
(結局マスコミに権力を持たせているのは視聴者と言う話になる)
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「国家の品格」ですがそこそこ売れているし、保守系の方からの評判もわりとよい書籍なのですが、実は同書には論理的におかしい部分がありまして、
菅直人氏はその「論理のおかしい部分」を「意味を理解せずに」番組中で引用したというのが正解だろうと思います。
ちなみに著者の藤原正彦氏は理系の方で、現在は『御茶の水女子大学』の理学部教授ということです。ぶっちゃて言うと「政治は専門外」ということです。菅直人氏が参考したであろうと思われる部分を引用してみます。
『国家の品格』 藤原正彦著 新潮社
民主主義の本質は主権在民ですが、主権在民とは「世論がすべて」ということです。そして、国民の判断材料はほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、マスコミが第一権力になっているということです。
P80
過去はもちろん、現在においても未来においても、国民は常に、世界中で未熟である。したがって、「成熟した判断ができる国民」という民主主義の暗黙の前提は、永遠に成り立たない。民主主義にはどうしても大きな修正を加える必要があります。
「真のエリートが必要」
国民は永遠に成熟しない。放っておくと主権在民すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
それを防ぐために必要なのが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれなんであれ、国家には絶対必要なんです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。
P82
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(1)国民は理性的な判断ができない。永遠に成熟しない。
(2)民主主義においては「マスコミ=世論」である。
(3)民主主義国家ではマスコミが実質的権力者である。
(4)だから民主主義は危険である。
(5)真のエリートが必要だ(特権を与える?)
という感じになります。
簡単に言うと「民主主義を否定」しているわけです。
実際に該当部分を見ると、菅直人氏がなぜ番組中であのような「トンデモ発言」をしてしまったのか分かると思います。
菅直人氏はおそらく「主権在民=世論=マスコミ=政府(権力)」という理論で、ホリエモンを利用した自民党の選挙戦術を批判し、前回の衆議院選挙における小泉首相の手法を批判したかったものと思います。つまり、国民は小泉氏やマスコミに踊らされて自民党に投票した。民主主義の悪い面が出た。ということを主張したかったのでしょう。
しかしながら、論理というのは一部分の「つまみ食い」では成立しません。どのように言いつくろっても、国会議員として「民主主義を否定する論理」を主張したらマズイ罠。
■「国家の品格」の理論が崩壊していた件について
しかしながら菅直人氏の理論は破綻しています。
番組中でも簡単に論破されていました。
残念ながら菅直人氏が手本にした「国家の品格」の理論構成がそもそもおかしいわけです。
■「世論=マスコミ」という虚構
インターネットで「2ちゃんねる」とか、「政治系ブログ」とか見ている方はお分かりだと思いますが、「マスコミ=世論」というのはあきらかに間違いですよね?(笑
少なくとも、「マスコミの意見」と「ネット世論」は異なる場合もあります。いい例が「靖国参拝」です。朝日新聞他の有力メディアが20年以上「反対」を表明しているにも関わらず、「政治ブログ界」では賛成意見が質量ともに圧倒的な支持を受けています。
「マスコミ=世論」という分析はあきらかに間違いであり、少なくとも現代では通用しない分析と言ってよいでしょう。
■情報の独占と情報操作
以前のエントリーでも説明していますが、
確かに過去においては「マスコミ=世論」という時代もありました。これは(1)「情報源」(2)「情報分析」(3)「情報発信」という三点について、(実質的に)マスコミが独占していたからです。
国民が何かの問題について判断する根拠となるのは「情報」です。過去においてはマスコミが情報を捏造したり、情報を隠したりすることが可能でした。情報を統制することによって「世論」をつくることが可能だったわけです。
また、マスコミの意見にそった「情報分析」を、社説や投書欄。あるいはコメンテーターの意見や街角インタビューとして宣伝することが可能でした。この事によってマスコミの意見(情報分析)が正しいことである、多数派であるという「虚構」を演出することが可能だったわけです。
その一方で、マスコミの意見と異なる「個人の意見(情報分析)」を発表する場所はほとんど存在しないという現実がありました。電波に乗らないわけですから「国民的な議論」にすらならず、マスコミに反対するような意見は「少数意見」として封殺されていた時代が存在したことも事実です。
■情報の独占から共有へ
しかしながら情報の伝達手段の発展、特に「インターネット」が発達したことによって、「マスコミによる情報の独占」という構図は終わりつつあります。つまり「マスコミによる世論操作」は難しくなってきたということができるでしょう。
インターネットの普及によって「全世界に向けて(ここ重要)」個人でも情報を発信することが可能になり、
個人の情報分析(意見)を国民にむけて発表することが可能となったからです。
その結果インターネットの世界で起こったのはマスコミ批判でした。
マスコミによる「情報隠蔽」や「情報操作」、「情報捏造」などに対する厳しい批判と共に、マスコミによる情報分析(マスコミの意見)も批判の対象になりました。
インターネット上では「情報の分析」については「権威」が通用しないという特性があります。ネット上で多数意見を構成する為には、(1)的確な情報ソースと、(2)理論的な分析。の二点を満たす必要があります。
この二点を満たさない意見は「大先生の意見」であってもネット上では通用しない。日本を代表する大新聞の「社説」も、理論が杜撰であれば「お笑いの対象」となる。それが現実なんです。
■国民は成熟しないか?
マスコミが戦争を煽った時代があります。特に朝日新聞は凄かったらしいです。現代では、朝日新聞の社説はその論理構成から「ウォッチ」の対象となっています。時代の流れを感じますね。
インターネットの普及によって
、「無数の頭脳」がネットワークを形成しつつあり、その情報分析能力は、「新聞記者」や「言論人」、時にはその分野の「大先生」の分析すら凌ぐ場合があります。というのは匿名の一般市民の中には、その分野の「中先生」がいたりする場合もあるからです(笑
客観的に見て国民の情報処理能力は向上していることになるでしょう。
■国家の品格を採点する
以上を踏まえて採点です。
×(1)国民は理性的な判断ができない。永遠に成熟しない。
×(2)民主主義においては「マスコミ=世論」である。
×(3)民主主義国家ではマスコミが実質的権力者である。
×(4)よって民主主義は危険である。
?(5)だから真のエリートが必要だ(特権を与える???)
完全にダメですね(笑
※ちなみに朝ナマでは、テレビ局は視聴率主義であり、視聴者が望む情報を提供しているというのが現実である。だからマスメディアは視聴者によって支配されている。という意見が大方賛同を得たようです。視聴者が支配まではいきませんが、民間放送局においては「スポンサー」と「視聴者」の力が強いのは事実でしょうね。
※また、同書では(5)のエリートに期待することがイマイチはっきりしていませんので保留にしておきます。エリートによる世論操作を目論んでいるならば、「エリートをマスコミに送る」ことが同書の提言となりますが、そうではないようです。
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