変化の時代の道しるべ*6*いま、脅威論を乗り越えて(1月7日)
(略)
*対話による平和外交こそ
冷戦時代、日本の仮想敵は旧ソ連だった。ソ連脅威論が叫ばれ、自衛隊も北海道に重点配備された。
いま、自衛隊は西方重視の体制をとり、中国や北朝鮮をにらむ。
ある国を脅威とみなすには、戦争や侵略行為をする意図と能力を持っていること、少なくともそう推定されることが前提条件となる。
二○○五年版の防衛白書は、中国の国防予算の高い伸びや不透明性を指摘している。しかし、それをもって中国に日本を攻める意図があるとはいえない。北朝鮮も同様だろう。
脅威論が生み出すのは、対抗するための軍事力の肥大化だ。かつて、米ソ間の核兵器競争を招いた「核抑止論」がそれを証明している。
日本の防衛力増強、日米の軍事一体化を脅威とみて、よろいを固める国だって出てくるだろう。
ここは踏みとどまって考えてみたい。戦火やまぬ世界にあって、対話による外交こそ、平和憲法を掲げる日本のとるべき道であるはずだ。
沖縄の仲村さんが十年前の大会で厳しく問うたのは、日本という国の姿勢だった。政府はまだ、納得できる答えを示していないが、めげることはない。
あのとき青空に響いた仲村さんの言葉を、再び思い起こそう。
「決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであきらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生み出すことになるのですから」
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北海道新聞の社説です。
地方紙ですから、まぁこんなものなんでしょうが、実は
「インチキ平和論」の見本みたいなものなので、ちょっと考えてみたいと思います。
■論旨の整理
(1)ある国を脅威とみなす為には、「侵略する意図」と「実行能力」が推定されることが要件である。
(2)中国、北朝鮮ともに上の要件のどちらかを欠く。
(3)よって両国を脅威とはみなせない。
(4)脅威論は際限のない軍拡へと進む。
(5)日本は脅威論をとらず「対話路線による外交」で平和を守るべきだ。
こんな感じになりますね。
■脅威の要件
まず、「脅威」の要件ですが、簡単に言えば「侵略する意図」は関係ありません。侵略を行う
「能力」があれば「脅威と認定」して対処しなければなりません。
なぜならば
、「侵略の意図」というのは短時間で構成可能だからです。今の政権は「侵略の意図」がなくとも、次の政権がどういう政策を打ち出すのかはわかりませんよね。ということで、道新の社説はこの点の理解が足りないということができます。
兵器などの「ハードウェア」については、周辺国に対して「常に対抗可能なレベル」を維持する必要があります。兵器の数を揃えて、運用可能な状態にする為には何年もの時間が必要ですから、周辺国の政権が変わってから準備しても間に合いません。
つまり
周辺国が所有している兵器は「使用される」ものと考えなければなりません。使うつもりがなければ保有しないのですから。容易に「使用されない状況」を作るためにも「抑止力としての軍事力」が必要なんです。先進国で軍隊のない国がないことを考えればわかるでしょう。
■中国、北朝鮮の脅威
中国や北朝鮮が、大船団を組んで本州に陸上兵力を上陸させるということは、ここ5年くらいは難しいでしょう。それだけのハードウェアがないからです。しかし「離島」侵攻に大兵力は必要ありませんから、中国には「日本の領土(離島も領土)」を侵攻する能力はあります。
また、
両国とも日本に対してミサイル攻撃を行う能力はありますから、これを「脅威」とみなして対策を練ることは必要ですよね。ミサイルを撃ち込まれてから慌てても遅いのです。
■対話路線の限界
例外もあるでしょうが、多くの場合「対話で解決できない」場合に戦争となります。現代においては、なんの前兆も対話もなく戦争になるということはまず考え難い。
ですから「対話で戦争を防ぐ」という考え方は、
理論的にはかなり幼稚ということはできます。
「対話で解決できない場合にどうしますか?」という問いに対して、「粘り強く対話を続けます」という回答は一応成立します。
しかし「相手が対話を拒否」したらどうでしょう?
これ以上の交渉は無意味であるとして「相手が軍事力に訴えたきたら」?
いくら
対話を訴えても、銃弾一発すら止めることはできないのです。
■戦争をなくす為に
現在の世界は「集団安全保障」という概念で戦争を防いでいます。
つまり、侵略者に対しては「複数国家が軍事的に協力するという約束」をすることで、戦争を防いでいるわけです。
(1)無法者が侵略をしてきた場合は「国連」が軍隊を編成しますよと。
(2)国連軍が到着するまで、単独で防衛するか、仲間同士で防衛してくださいね。
これが
現代社会の約束なんです。現代の国際社会は
各国が「集団的自衛権」を行使することを前提としていますから、集団的自衛権を認めないという「トンデモ理論」は国際社会では相手にされません。「集団的自衛権」を否定すると、国土を侵略されたときに「国連軍との共闘」もできないことになるからです。
治安を守る為には「警察」が必要です。警察のない近代国家というものはありませんよね? 国際社会には警察に該当する権力は存在しませんから、能力をもった「有志連合」が
「平和を守る為に軍事力を行使する決意」が必要なんです。
国際社会においては「弱い国家を見捨てない為の知恵」が集団的安全保障ということを、護憲論者はまずしるべきだと思います。
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