本題に入る前にこのエントリーでは、AERAの記事を元に、富田日記(10冊)、富田手帳(20冊)、富田メモ(用紙の束)という風に分類することにします。
■富田「日記」出版計画
週刊文春八月三日号の記事です。

(後半は省略)
(1)富田日記を編集して出版する計画があった。
(2)その中には天皇の発言も収録されていた。
(3)しかし、差しさわりのありそうな部分は外した。
ということです。
日記を編集し出版するとなれば、当然ながら手帳やメモなども確認すると思いますが、AERAの記事によれば富田夫人はメモの内容を見ていなかったということです。率直に言って不自然な感じがします。この辺りに何か秘密がありそうです。
■なぜ偽造説か?
筆者はあえて少数説である偽造説を支持しています。
それは何故かというと
偽造説が一番矛盾が少ないからです。すでに明らかになっているように、問題の部分が昭和天皇の発言だとすると、多くの歴史史料と矛盾することになります。この点は週刊新潮の八月十日号が詳細です。
詳細はくっくりさん参照
そもそもA級戦犯として処刑された方々は、昭和天皇の身代わりになったという側面もあるのですから、これを一括りにして昭和天皇が批判することはまず考えられません。昭和天皇が自身が戦犯として訴追、処刑される可能性があったことは昭和天皇も自覚していました。
このように考えると、
自らの身代わりになった方々をA級戦犯という括りで批判されている以上、昭和天皇の発言ではありえないと言えます。
また、「徳川発言説」については、なぜ富田氏が仕事で使う手帳に(なんの注釈もなく)徳川侍従長の発言を「私」という主語をつかって詳細に(演説調)にメモした(貼り付けた)のか、と言う点が説明できません。
■富田氏の私的メモ?
ここで問題になってくるのが「富田メモ」の正体です。
富田氏が宮内庁長官時代に手帳とメモ用紙を併用していたことは疑う余地はありません。ただし、
残されていたメモがすべて「昭和天皇に関係したものかどうか」は確定できません。
例えば、日記を書くための
私的メモが存在していた可能性は否定できないでしょう。何が言いたいのかと言えば、メモ用紙の束の中には、冨田氏と徳川侍従長との間で話したことも含まれている可能性があるということです。
■富田メモのトレース
筆者の偽造説はこのようなものです。
(1)富田メモには、仕事用のものと日記用のものがあった。
(2)問題のメモは、それぞれをトレースして切り張りしたものである。
(3)A級戦犯合祀の部分は、日記メモの方から徳川発言をトレースしたもの。
日経新聞は史料を現時点では公開する意思がないので、筆跡鑑定に持ち込む為には、とにかく偽造の可能性を指摘していくしかないわけです。
ここでポイントになるのがメモ用紙の薄さです。
画像を元にして裏側から内容が解析できる程度にはメモ用紙が薄手なので、原本の上から重ねてなぞる(トレース)ことは十分に可能です。トレースですから文字が全体的に似ているのは当然と言えるでしょう。
もちろんこの場合でも、正式な筆跡鑑定を行えば偽造は判明します。
ということで、筆者は該当史料の「筆跡鑑定」を切に求めているわけです。
なぜ、筆者が問題のメモをトレースと判断したのか?
詳細は次回で。
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