「「南京大虐殺があった」というTBSのプロパガンダ」
南京大虐殺
陸軍特務機関員が語る「南京大虐殺」
「虐殺のなかった戦争などありえません」。第二次世界大戦当時、陸軍の特務機関員だった男性が、南京での虐殺の様子を初めて語りました。
「今のうちに話しておかないと、私の知っている人たちも何もしゃべらないで死んでしまった」
中谷孝さん、85歳。今の政治状況が70年前の戦争当時と変わらないと強い危機感を覚え、自らの戦争体験を語ることを決意したということです。
その中谷さんは、様々な議論のある『南京大虐殺』はあったと主張します。
「非常に興奮した(日本軍の)兵隊たちは、怪しいと思う住民を全部引っ張った。やった人が言っていたが、『怪しいやつは、皆殺せ』ということで、殺してしまった。これが事実です」(中谷孝さん)
講演会では、20代のフリージャーナリストも加わり、戦争を語り継ぐ大切さが強調されました。(25日23:12)
[26日6時18分更新] JNN社会ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20060326/20060326-00000003-jnn-soci.html
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■中谷氏の経歴
中谷氏は1937年当時高校生です。
簡単に言えば「南京にいない」わけですが(笑
これは中谷氏の経歴をみれば一目瞭然。
南京城が陥落したのは1937年12月13日です。
1938年1月7日には、イギリスやアメリカの砲艦を利用して第三国の外交官が南京入りしています(※1)。南京で数万規模の「大規模な虐殺」があったとすれば、1938年の1月8日より前ということになるでしょう。
つまり、1938年(3月だと思いますが)に
高校を卒業した中谷氏は、南京虐殺があったとされる時期に
「南京に存在していない」んです。「講釈士、見てきたようなウソをいい」などどいう言葉がありますが、中谷氏もその例に漏れないでしょう。南京大虐殺事件の証言者というのは、このような
怪しい人物が多いのが特徴と言えます。
TBSも報道する前に経歴くらい調べましょうよ(笑
■南京大虐殺がなかったと言える理由
アメリカの外交官は1月上旬に南京入りしています。南京陥落から一ヶ月もたっていない時期になります。彼らは「何万人もの市民大虐殺」を報告してはいません。さらに、南京城内では、十数名の外国人が国際安全区委員会という組織をつくって避難民の保護を行っていました。彼らも「何万人もの市民大虐殺」を記録してはいません。
記録されているのは「ゲリラ狩り」の光景や、略奪や強姦事件などです。こういった報告には被害者を確認していないものなど、怪しいものがかなりありますが、日本軍としても十数名を処罰していますので、いくらかの事件はあったものとおもいます。
外交官資料としては、『ドイツ外交官の見た南京事件(大月書店)』や『南京事件史料集 アメリカ関係資料編(青木書店)』などがあります。安全区委員会の資料としては、『南京大残虐事件史料集 英文資料編(大月書店)』があります。これには1938年の春以降に行われたスマイス博士らによる戦争被害調査も掲載されています。
外国人の日記は、ラーベ日記『南京の真実(講談社文庫)』や、ミニーヴォートリンの日記『南京事件の日々(大月書店)』などがあります。
そのいずれにも、「何万人もの市民」を虐殺したという記録はありません。
簡単に言えば、当時南京にいて避難民を保護していた複数の外国人や、第三国の外交官は「中国側が主張するような大虐殺」は記録していないわけです。これでなお「南京大虐殺があった」と主張するならば、かなり「頭が悪い」という以外にありません。
現存する史料を無視して、事件当時、「現場にすらいない中谷氏の証言」を取り上げ、「南京大虐殺があった」と報道するのは、中国のプロパガンダに加担しているのと同義になります。
■南京で何があったのか?
中国軍は、民間人の服に着替えて潜伏したので、日本軍は便衣兵狩り(ゲリラ狩り)を行いました。中谷氏が言うように「あやしい奴」を引っ張ったのは事実です。写真も映像も残っています。もっとも「あやしくない奴」には住民登録をおこなっていますがね。
「日映」の『南京<戦線後方記録映画>』より
ゲリラ選別の様子
住民登録の様子
『南京事件』P107 笠原十九司著 岩波新書より
怪しかった人物を、さらに念入りに取り調べる様子。官給品の下着かどうか調査しているものと思われる。
■プロパガンダ映像説
こういった映像を「日本軍のプロパガンダ」という方がいますが、どういう意味のプロパガンダなのか聞いて見たいものです。
市民大虐殺をして、それを隠蔽する為に「平和的なプロパガンダ映像」を撮ったという意味なのでしょうかね。そんな手間暇をかけるなら虐殺をしないほうがマシですよね(笑
そもそもこの時期は日本軍が圧勝している時期ですから、勝てば官軍です。仮に
虐殺事件があっても隠蔽する必要はないわけですが。それとも敗戦を予感してのアリバイ工作とでもいうのでしょうか。
南京には外国人もおり、無闇に
何万人もの市民を連行したり虐殺できる状態にはなかったわけです。
事件当時南京にいなかった中谷氏が何を主張しようが、事件当時の映像記録や文献資料を変えることはできないでしょう。
なんら検証をせず、おかしな人間の、根拠のない見解を垂れ流して、南京大虐殺があったかのうように報道するのは限りなく「捏造に近い」と言えるでしょう。
南京城のイメージ
※(1)アメリカの外交官が南京に戻った時期
南京事件史料集 アメリカ関係資料編 青木書店P106
61D<南京の状況>――1938年1月8日
EC グレイ暗号および特別グレイ暗号電報
発信:南京(オアフ号)海軍無線局経由
受信:1938年1月8日午前6時ワシントン国務長官宛
1月8日午後9時
(略)
日本軍は、日没以後は何者も城外に出ることを禁じているし、日中においても外出が許されている外国人は、我々大使館員だけである。(略)
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