2019/3/30 23:43
今日の大連はなんとビックリ、降雪でした。もう大連にかな〜り長く居ますが、3月も終わりというのに降雪とは初めての経験ですね。「労働公園」ではもう梅が咲いていますよ。桜の開花はあと2〜3週間後ですね。この冬は凄い暖冬でマイナス15度はおろかマイナス10度すら殆どありませんでした。特亜三国は大気汚染で確実に自然環境を狂わせています。

お昼近くになってようやく止みましたが、風もあって気温は0度です。

同日同時刻の省都・瀋陽です。やっぱり雪です。

同日同時刻の広東省の省都・広州です。今日は地元サッカークラブ「大連一方」のホーム開幕戦、しかも相手はACL常連で日本でもお馴染みの「広州恒大」という屈指の好カードで、中国人の蹴友(しゅうゆう)からも生観戦に誘われていて、絶対に行きたかったのですが、風邪が怖くて諦めました。ということでコタツに入ってのテレビ観戦にしました。「0:1」で負けてしまいましたが、かなり善戦しました。連中は初夏(?!)の地からいきなり真冬の地に来たのですから動きもイマイチでしたね(笑)。

外の様子です。ジャムを切らしていたので買いに行った時に撮りました。小雪が舞う市中心部「労働公園緑山とテレビ塔」です。

しばらく撮っていたら、あっという間にシャレにならない強風と降雪になりました(泣)。
さて、今日は夜に大連駅へ見送りに行く用事があって出掛けました。

夜の駅正面です。上野駅をモデルに日本人(南満州鉄道株式会社の太田宗太郎ら)が設計し、日本人が作りました。一階が到着口、二階が出発口です。

角度を変えます。

この大連駅は今年で82歳を迎えます。「中国一の知日都市・大連」の「宝物」の一つです。

営業時間は朝5:30から夜11:20までです。大連は遼東半島の端に位置するので、大連駅は必ず出発駅(終点駅)になります。他の大都市の駅とは違って24時間営業ではありません。

駅構内の切符売り場です。

汽車の切符も今ではネット購入が基本ですから、窓口購入客は少ないです。市内各所に切符売り場もありますしね。昔はまあ並びましたよ、割り込みも凄かったです。「支那人」と言えば今も昔も、更には日本でも「転売屋」ですが、まあ多かったですねえ。

二階の出発口です。昔はホームの上の改札口まで行けたのですが、今、見送りはここまでです。「一路平安!(道中御無事で!)」の言葉をかけ、握手して別れます。

右には「マクドナルド」と中国ローカルのファーストフードチェーン「徳克士(dicos)」です。

左は大きな空きスペースとなっています。かつてはここが切符売り場でした。今は先程ご紹介したように駅一階に移転しています。写真左に見えますが、大連駅の歩みを紹介したパネルが飾られています。

大連駅の歴史ですね。

アップです。今の大連駅は1937年に日本が作ったものですが、これはその前、ロシアが作った東清鉄道時代の大連駅ですね。1903年(明治36年)の開業です。

建設中(1935年、昭和10年)の今の大連駅ですね。今現在のトロリーバス(101路)乗り場の辺りは住宅地だったんですねえ。多くの煙突が目立ちますね。

終戦(1945年、昭和20年)後の様子ですね。中ソ共同管理を経て、1952年に中国の管理下となりました。

70年代の様子ですね。車やバスこそ時代を感じさせますが、私が大連に来た2000年台初頭の頃もこんな感じでしたねえ。

1951年(昭和26年)、大連駅ホームに降り立つ周恩来です。

1983年(昭和58年)、大連駅ホームに降り立つトウ小平です。

1972年(昭和47年)、カンボジアのシアヌークが来連した時の様子です。
こんな感じでなかなか興味深いパネルが掲示されています。

駅舎内の上を見上げます。歴史が感じられますよ。

駅舎の外に出ます。すぐ横には4つ星ホテルの「渤海明珠酒店」です。入り口の右横に注目です。

アップです。素晴らしい外観を持つ日本の牛丼チェーン「吉野家」です。話のタネに一度はどうぞ!
大連における最も美しい「吉野家」の店舗
https://sky.ap.teacup.com/dalian4649/527.html

駅前には満州国時代から変わらぬ路面電車(201路)が走ります。
これまで数えきれないほどの人をこの大連駅で見送り、また出迎えてきましたねえ・・・。

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お昼近くになってようやく止みましたが、風もあって気温は0度です。

同日同時刻の省都・瀋陽です。やっぱり雪です。

同日同時刻の広東省の省都・広州です。今日は地元サッカークラブ「大連一方」のホーム開幕戦、しかも相手はACL常連で日本でもお馴染みの「広州恒大」という屈指の好カードで、中国人の蹴友(しゅうゆう)からも生観戦に誘われていて、絶対に行きたかったのですが、風邪が怖くて諦めました。ということでコタツに入ってのテレビ観戦にしました。「0:1」で負けてしまいましたが、かなり善戦しました。連中は初夏(?!)の地からいきなり真冬の地に来たのですから動きもイマイチでしたね(笑)。

外の様子です。ジャムを切らしていたので買いに行った時に撮りました。小雪が舞う市中心部「労働公園緑山とテレビ塔」です。

しばらく撮っていたら、あっという間にシャレにならない強風と降雪になりました(泣)。
さて、今日は夜に大連駅へ見送りに行く用事があって出掛けました。

夜の駅正面です。上野駅をモデルに日本人(南満州鉄道株式会社の太田宗太郎ら)が設計し、日本人が作りました。一階が到着口、二階が出発口です。

角度を変えます。

この大連駅は今年で82歳を迎えます。「中国一の知日都市・大連」の「宝物」の一つです。

営業時間は朝5:30から夜11:20までです。大連は遼東半島の端に位置するので、大連駅は必ず出発駅(終点駅)になります。他の大都市の駅とは違って24時間営業ではありません。

駅構内の切符売り場です。

汽車の切符も今ではネット購入が基本ですから、窓口購入客は少ないです。市内各所に切符売り場もありますしね。昔はまあ並びましたよ、割り込みも凄かったです。「支那人」と言えば今も昔も、更には日本でも「転売屋」ですが、まあ多かったですねえ。

二階の出発口です。昔はホームの上の改札口まで行けたのですが、今、見送りはここまでです。「一路平安!(道中御無事で!)」の言葉をかけ、握手して別れます。

右には「マクドナルド」と中国ローカルのファーストフードチェーン「徳克士(dicos)」です。

左は大きな空きスペースとなっています。かつてはここが切符売り場でした。今は先程ご紹介したように駅一階に移転しています。写真左に見えますが、大連駅の歩みを紹介したパネルが飾られています。

大連駅の歴史ですね。

アップです。今の大連駅は1937年に日本が作ったものですが、これはその前、ロシアが作った東清鉄道時代の大連駅ですね。1903年(明治36年)の開業です。

建設中(1935年、昭和10年)の今の大連駅ですね。今現在のトロリーバス(101路)乗り場の辺りは住宅地だったんですねえ。多くの煙突が目立ちますね。

終戦(1945年、昭和20年)後の様子ですね。中ソ共同管理を経て、1952年に中国の管理下となりました。

70年代の様子ですね。車やバスこそ時代を感じさせますが、私が大連に来た2000年台初頭の頃もこんな感じでしたねえ。

1951年(昭和26年)、大連駅ホームに降り立つ周恩来です。

1983年(昭和58年)、大連駅ホームに降り立つトウ小平です。

1972年(昭和47年)、カンボジアのシアヌークが来連した時の様子です。
こんな感じでなかなか興味深いパネルが掲示されています。

駅舎内の上を見上げます。歴史が感じられますよ。

駅舎の外に出ます。すぐ横には4つ星ホテルの「渤海明珠酒店」です。入り口の右横に注目です。

アップです。素晴らしい外観を持つ日本の牛丼チェーン「吉野家」です。話のタネに一度はどうぞ!
大連における最も美しい「吉野家」の店舗
https://sky.ap.teacup.com/dalian4649/527.html

駅前には満州国時代から変わらぬ路面電車(201路)が走ります。
これまで数えきれないほどの人をこの大連駅で見送り、また出迎えてきましたねえ・・・。

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投稿者:dalian4649