中国遼寧省大連で生きるおっさん

〜 「若者」もすなる「ブログ」というものを「おっさん」もしてみんとてするなり  一人の名も無きおっさんが、浅学菲才ながらも、自分の言葉と写真で、毎回一生懸命書いている大連ブログでございます 〜

 

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大連「労働公園」で全文日本語の大型石碑が出土、で見に行く、そして全文を解読する

昨日も今日も大連は大気の状態が良く、絶好の外出日和となりました。

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「緑」山の名に相応しい姿を見せる「労働公園緑山」とその上に立つ大連のランドマークタワー「テレビ塔」です。

さて、この「緑山」、名称は日本統治時代である関東州(満州国)時代からそのまま今も受け継がれているんですが、今朝、新聞を買って読んでいたら凄いニュースが載っていました。今日は「歴史が動いた日」(!)ですよ。

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本日付け大連地元紙『半島晨報』の一面です。下の方の記事に御注目下さい。

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アップです。見出しは「労働公園の工事中、穴を掘っていたら日本語の石碑が出土した」とあります。何〜〜〜!

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で、同記事(A02ページ)です。見出しは「労働公園の工事中、穴を掘っていたら日本語だらけの石碑が出土した」とあります。

記事によれば、発見されたのは三週間前の5月23日の午後です。ただ今、改修整備中の労働公園で、ユンボで穴を掘っていたら何かにぶつかったそうです。掘り出してみたら縦2,4m、横1,6mの大きな石碑でした。畳でいうと約2畳分(!)ですね。

ここ労働公園ですが、日本統治時代は「西公園」、そして「中央公園」という名前でした。そして戦争で散っていった方々のために忠霊塔が建てられていました。現在のサッカーボールモニュメントがある場所です。この忠霊塔の前には大鳥居がありました。今回、この偶然に発見された碑文は、その大鳥居が建設された過程がびっしりと書かれてあったのです。

一体、誰が?何のために埋めた?
同紙同記事は専門家の意見を引用していて、当時の日本人が埋めたとしています。理由は不明です。この説だと今回、約70年ぶりに日の目を見たことになります。しかしその確証はありません。当時の親日中国人だったかもしれませんし、文革の時代だったかもしれません。まあ結論が出ないところが歴史を学ぶ面白さでもあります。

天気、大気は最高だし、家から近いし、で早速、発掘現場に行ってきました。

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労働公園東門です。

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園内の様子です。柳が綺麗です。

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発掘現場は東門を入って直ぐ左、公衆トイレの横でした。写真中央部、青いトイレマークのある所です。

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現場です。早速、見学者が居ました。特に封鎖されておらず、自由に見学できるようです。

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大きな穴です。写真上部に寝ているのが今回発見された石碑です。

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これがその石碑です。

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保存状態が極めて良く、私のような浅学非才でも読めます。

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日差しが強くて影になり、読み辛くもありますが、全文撮影して解読することにしました。

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日が傾き始めた夕方に、カメラを変えてまた訪れました。現場は公衆トイレの右です。ギャラリーが増えています。

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改めて現場です。

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この時は特に変化は無いと思ったのですが、「支那人」にやられていましたね。

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日が傾いたので大分見やすくなりました。

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最後の人名だけが破損が酷くて読めません。他は全文解読に成功しました。

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ここです。よく見えません。

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午前中に来た時には無かった碑文の破壊が確認できました。石が削られ明らかに新しい傷であるのが御確認いただけます。「支那人」の仕業です。管理人も居ないし、監視カメラも無いので、日本を快く思わない「支那人」が石か岩を投げつけたのでしょう。先程、紹介した新聞記事は最後に「工事は中止、発掘現場は保存」とありましたが、早速、破壊が始まっていました。まあ無理でしょうな。

破壊や改ざん、撤去される前にぜひ「本物」を目にしておくことをお勧めします。つい最近まで大連にあった満鉄の超特急あじあ号(パシナ形蒸気機関車)も今は何処へ?

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日本統治時代当時の大連中央公園内の忠霊塔と今回脚光を浴びることとなった大鳥居です。

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本日の同所の姿です。後ろに写る「緑山」は名称も、そして形も変わっていませんね。

最後に私が解読した碑文の全文です。初公開です。碑文は最後に「之ヲ後世ニ伝フ」と結んでいます。私はしっかりとその魂を受け継ぎました。そしてこのブログを通じて、現地の地元紙が報道した「当日に」全世界に向けて発信しました。同じような志で共感できる方、先達のご意思を尊重できる方は決して少なくないはずです。

樹齢二千年超の檜を、当時は日本領であった台湾の阿里山から大連まで運んで来て、東京の明治神宮造営に関わった匠が、身を、魂を清めて作った大鳥居。完成は昭和17年11月21日でした。その本文に日本人の素晴らしさとものづくりの原点が凝縮されているように感じたのは私だけでしょうか。読み味わって下さい。



大連忠霊塔
鳥居建設由緒之碑

関東局総長
●●●彦書

紀元二千六百年ヲ慶祝記念スへク大連忠霊塔表参道入口ニ大鳥居ヲ建
設シ緑山ノ聖地ニ神鎮ナル尽忠殉国ノ英霊ヲ慰ムルト共ニ聖域ヲ荘厳
ナラシメ以テ関東州民ノ忠霊ニ封スル感謝景仰ノ念ヲ昂揚シ精神作興
ノ源泉タラシメントスルハ洵ニ深遠ナル計画タリ帝国在郷軍人会大連
第四分会之ヲ発案シ関東州土木建築業協会理事長榊谷仙次郎氏ニ工事
完成ニ就キ協力ヲ要請ス協会ハ三十有ニ年ノ歴史ヲ有スル旧満州土木
建築業協会ノ解散記念事業トシテ意義洵テ深キヲ思ヒ之レカ建立献納
ノ議ヲ快諾ス抑々本鳥居建設ニ方リテハ忠霊顕彰会台湾総督府及陸海
軍当局ノ積極的御援助ト郷軍協会員ノ和衷協力ニ依リ時局下幾多ノ困
難ヲ克服シテ樹齢二千有余年ノ阿里山霊檜ヲ二回ニ亘リ海軍御用船ニ
テ大連埠頭ニ輸送シ古式ニ則リ之ヲ聖域ニ運ビ施工ヲ明治神宮造営ニ
匠ニ委嘱シ昭和十七年六月一日厳粛ニ起工式ヲ挙ケ爾来郷軍警護ノ下
ニ工匠勤労奉仕者斎戒沐浴協力一致工ヲ進メ十月二十八日上棟式ヲ行
ヒ十一月二十一日荘厳盛大ナル落成式並献納ノ式典ヲ挙ゲ州民待望ノ
大鳥居ハ関係者一同ノ赤誠ヲ表徴シテ其威容ヲ忠霊塔前ニ顕現ス興亜
ノ聖戦正ニ酣ニシテ其完遂ノ前途尚遼遠ヲ思ハシムルノ秋永ク忠霊ノ
遺勲ヲ偲ヒ其加護ヲ祈リ益々国民精神ヲ作興シテ天業ノ翼賛ニ邁進ス
ルハ喫緊ノ要事タリ茲ニ建設ノ趣意ヲ記シテ之ヲ後世ニ伝フ

※原文は縦書きです。上記同様、一行につき31文字で18行です。本文は554文字です。漢字はパソコン表示の関係上、原文の旧字体を今の漢字に直してあります。

●は破損のため判読不能でした。新聞報道によれば、当時の関東局総長「三浦直」彦ではないかとありました。



今日は心も体も頭も充実した週末休みでしたね。

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投稿者:dalian4649
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