三 魔往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、未(いま)だ繩目もゆるされいで、土の牢の暗(やみ)の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き喚(わめ)くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、緋(ひ)の袍(ころも)をまとうた学匠(がくしやう)が、忽然(こつねん)と姿を現(あらは)いて、やさしげに問ひかけたは、
「如何(いか)に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、
「それがしは、帝に背(そむ)き奉つて、悪魔(ぢやぼ)に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、
「さらばおぬしは、今もなほ悪魔(ぢやぼ)に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は頭(かうべ)を竪(たて)に動かいて、
「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、
「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を赦(ゆる)いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛(いまし)めは、悉(ことごと)くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃(いんぎん)に礼を為(な)いて申したは、
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々(しやうじやうよよ)忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果(はて)ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱(かか)いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時(いつ)か宙を踏んで、牢舎を後に飄々(へうへう)と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛(とば)いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠(おほかはほり)が、黒雲の翼を一文字に飛行(ひぎやう)する如く見えたと申す。
されば「れぷろぼす」は愈(いよいよ)胆を消(け)いて、学匠もろとも中空を射る矢のやうに翔(かけ)りながら、戦(をのの)く声で尋ねたは、
「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな大神通(だいじんづう)の博士は、世にも又とあるまじいと覚ゆる。」と申したに、学匠は忽ち底気味悪いほくそ笑みを洩しながら、わざとさりげない声で答へたは、
「何を隠さう、われらは、天(あめ)が下の人間を掌(たなごころ)にのせて弄(もてあそ)ぶ、大力量の剛の者ぢや。」とあつたによつて、「れぷろぼす」は始めて学匠の本性が、悪魔(ぢやぼ)ぢやと申すことに合点(がてん)が参つた。さるほどに悪魔(ぢやぼ)はこの問答の間さへ、妖霊星の流れる如く、ひた走りに宙を走つたれば、「あんちおきや」の都の燈火(ともしび)も、今ははるかな闇の底に沈みはてて、やがて足もとに浮んで参つたは、音に聞く「えじつと」の沙漠でおぢやらう。幾百里とも知れまじい砂の原が、有明の月の光の中に、夜目にも白々と見え渡つた。この時学匠は爪長な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、
「かしこの藁屋(わらや)には、さる有験(うげん)の隠者が住居(すまひ)致いて居ると聞いた。まづあの屋根の上に下らうずる。」とあつて、「れぷろぼす」を小脇に抱いた儘(まま)、とある沙山(すなやま)陰のあばら家の棟(むね)へ、ひらひらと空から舞ひ下つた。
こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の翁(おきな)ぢや。折から夜のふけたのも知らず、油火(あぶらび)のかすかな光の下で、御経(おんきやう)を読誦(どくじゆ)し奉つて居つたが、忽(たちま)ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも紛(まが)はうず桜の花が紛々と飜(ひるがへ)り出(いだ)いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城(けいせい)が、鼈甲(べつかふ)の櫛(くし)笄(かうがい)を円光の如くさしないて、地獄絵を繍(ぬ)うた襠(うちかけ)の裳(もすそ)を長々とひきはえながら、天女のやうな媚(こび)を凝(こら)して、夢かとばかり眼の前へ現れた。翁はさながら「えじつと」の沙漠が、片時の内に室神崎(むろかんざき)の廓(くるわ)に変つたとも思ひつらう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどは惚々(ほれぼれ)と傾城(けいせい)の姿を見守つて居つたに、相手はやがて花吹雪(はなふぶき)を身に浴びながら、につこと微笑(ほほゑ)んで申したは、
「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に棲(す)むとやら承つた伽陵頻伽(かりようびんが)にも劣るまじい。さればさすがに有験(うげん)の隠者もうかとその手に乗らうとしたが、思へばこの真夜中に幾百里とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾城(けいせい)などの来よう筈もおぢやらぬ。さては又しても悪魔(ぢやぼ)めの悪巧みであらうずと心づいたによつて、ひたと御経に眼を曝(さら)しながら、専念に陀羅尼(だらに)を誦(ず)し奉つて居つたに、傾城はかまへてこの隠者の翁を落さうと心にきはめつらう。蘭麝(らんじや)の薫を漂はせた綺羅(きら)の袂を弄(もてあそ)びながら、嫋々(たよたよ)としたさまで、さも恨めしげに歎いたは、
「如何(いか)に遊びの身とは申せ、千里の山河も厭(いと)はいで、この沙漠までまかり下つたを、さりとは曲(きよく)もない御方かな。」と申した。その姿の妙(たへ)にも美しい事は、散りしく桜の花の色さへ消えようずると思はれたが、隠者の翁は遍身(へんしん)に汗を流いて、降魔の呪文を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔(ぢやぼ)の申す事に耳を借さうず気色(けしき)すらおりない。されば傾城もかくてはなるまじいと気を苛(いらだ)つたか、つと地獄絵の裳(もすそ)を飜(ひるがへ)して、斜に隠者の膝へとすがつたと思へば、
「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い口説(くど)いた。と見るや否や隠者の翁は、蝎(さそり)に刺されたやうに躍り上つたが、早くも肌身につけた十字架(くるす)をかざいて、霹靂(はたたがみ)の如く罵(ののし)つたは、
「業畜(ごふちく)、御主(おんあるじ)『えす・きりしと』の下部(しもべ)に向つて無礼(むらい)あるまじいぞ。」と申しも果てず、てうと傾城の面(おもて)を打つた。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏しまろんだが、忽ちその姿は見えずなつて、唯一むらの黒雲が湧き起つたと思ふほどに、怪しげな火花の雨が礫(つぶて)の如く乱れ飛んで、
「あら、痛や。又しても十字架(くるす)に打たれたわ。」と唸(うめ)く声が、次第に家の棟(むね)にのぼつて消えた。もとより隠者はかうあらうと心に期(ご)して居つたによつて、この間も秘密の真言(しんごん)を絶えず声高(こわだか)に誦(ず)し奉つたに、見る見る黒雲も薄れれば、桜の花も降らずなつて、あばら家の中には又もとの如く、油火ばかりが残つたと申す。
なれど隠者は悪魔(ぢやぼ)の障碍(しやうげ)が猶(なほ)もあるべいと思うたれば、夜もすがら御経の力にすがり奉つて、目蓋(まぶた)も合はさいで明(あか)いたに、やがてしらしら明けと覚しい頃、誰やら柴の扉(とぼそ)をおとづれるものがあつたによつて、十字架(くるす)を片手に立ち出でて見たれば、これは又何ぞや、藁屋の前に蹲(うづくま)つて、恭(うやうや)しげに時儀(じぎ)を致いて居つたは、天から降つたか、地から湧いたか、小山のやうな大男ぢや。それが早くも朱(あけ)を流いた空を黒々と肩にかぎつて、隠者の前に頭を下げると、恐る恐る申したは、
「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおぢやる。ちかごろふつと悪魔(ぢやぼ)の下部(しもべ)と相成つて、はるばるこの『えじつと』の沙漠まで参つたれど、悪魔(ぢやぼ)も御主(おんあるじ)『えす・きりしと』とやらんの御威光には叶ひ難く、それがし一人を残し置いて、いづくともなく逐天(ちくてん)致いた。自体それがしは今天が下に並びない大剛の者を尋ね出いて、その身内に仕へようずる志がおぢやるによつて、何とぞこれより後は不束(ふつつか)ながら、御主『えす・きりしと』の下部の数へ御加へ下されい。」と云うた。隠者の翁はこれを聞くと、あばら家の門に佇(たたず)みながら、俄に眉をひそめて答へたは、
「はてさて、せんない仕宜(しぎ)になられたものかな。総じて悪魔(ぢやぼ)の下部となつたものは、枯木に薔薇の花が咲かうずるまで、御主『えす・きりしと』に知遇し奉る時はござない。」とあつたに、「れぷろぼす」は又ねんごろに頭を下げて、
「たとへ幾千歳を経ようずるとも、それがしは初一念を貫かうずと決定(けつぢやう)致いた。さればまづ御主『えす・きりしと』の御意(みこころ)に叶ふべい仕業の段々を教へられい。」と申した。所で隠者の翁と山男との間には、かやうな問答がしかつめらしうとり交されたと申す事でおぢやる。
「ごへんは御経(おんきやう)の文句を心得られたか。」
「生憎(あいにく)一字半句の心得もござない。」
「ならば断食は出来申さうず。」
「如何(いか)なこと、それがしは聞えた大飯食ひでおぢやる。中々断食などはなるまじい。」
「難儀かな。夜もすがら眠らいで居る事は如何あらう。」
「如何なこと、それがしは聞えた大寝坊でおぢやる。中々眠らいでは居られまじい。」
それにはさすがの隠者の翁も、ほとほと言(ことば)のつぎ穂さへおぢやらなんだが、やがて掌(たなごころ)をはたと打つて、したり顔に申したは、
「ここを南に去ること一里がほどに、流沙河(りうさが)と申す大河がおぢやる。この河は水嵩(みづかさ)も多く、流れも矢を射る如くぢやによつて、日頃から人馬の渡りに難儀致すとか承つた。なれどごへんほどの大男には、容易(たやす)く徒渉(かちわた)りさへならうずる。さればごへんはこれよりこの河の渡し守となつて、往来の諸人を渡させられい。おのれ人に篤(あつ)ければ、天主も亦おのれに篤からう道理(ことわり)ぢや。」とあつたに、大男は大いに勇み立つて、
「如何にも、その流沙河とやらの渡し守になり申さうずる。」と云うた。ぢやによつて隠者の翁も、「れぷろぼす」が殊勝な志をことの外悦(よろこ)んで、
「然(さ)らば唯今、御水(おんみづ)を授け申さうずる。」とあつて、おのれは水瓶(みづがめ)をかい抱きながら、もそもそと藁家の棟へ這ひ上つて、漸(やうや)く山男の頭の上へその水瓶の水を注ぎ下いた。ここに不思議がおぢやつたと申すは、得度(とくど)の御儀式が終りも果てず、折からさし上つた日輪の爛々(らんらん)と輝いた真唯中から、何やら雲気がたなびいたかと思へば、忽ちそれが数限りもない四十雀(しじふから)の群となつて、空に聳(そび)えた「れぷろぼす」が叢(くさむら)ほどな頭の上へ、ばらばらと舞ひ下つたことぢや。この不思議を見た隠者の翁は、思はず御水を授けようず方角さへも忘れはてて、うつとりと朝日を仰いで居つたが、やがて恭(うやうや)しく天上を伏し拝むと、家の棟から「れぷろぼす」をさし招いて、
「勿体(もつたい)なくも御水を頂かれた上からは、向後(かうご)『れぷろぼす』を改めて、『きりしとほろ』と名のらせられい。思ふに天主もごへんの信心を深う嘉(よみ)させ給ふと見えたれば、万一勤行(ごんぎやう)に懈怠(けたい)あるまじいに於ては、必定(ひつぢやう)遠からず御主『えす・きりしと』の御尊体をも拝み奉らうずる。」と云うた。さて「きりしとほろ」と名を改めた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。

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