第八十段にディレッタンティズムに対する箴言(しんげん)がある。「人ごとに、我が身にうとき事をのみぞこのめる」云々の条は、まことに自分のような浮気ものへのよい誡(いまし)めであって、これは相当に耳が痛い。この愚かな身の程をわきまえぬ一篇の偶感録もこのくらいにして差控えるべきであろう。
ある日の午前に日比谷近く帝国ホテルの窓下を通った物売りの呼び声が、丁度偶然そのときそこに泊り合わせていた楽聖クライスラーの作曲のテーマになったという話があったようである。自分の怪しう物狂おしいこの一篇の放言がもしやそれと似たような役に立つこともあれば、それによって幾分か僭上(せんじょう)の罪が償われることもあろうかと思った次第である。
(昭和九年一月『文学』)
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底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年12月13日作成
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