十三
九月中旬になって東京の街路を飾るプラタヌスの並み木が何か思い出しでもしたように新しい芽を出している。老衰して黒っぽくなりその上に煤煙(ばいえん)によごれた古葉のかたまり合った樹冠の中から、浅緑色の新生の灯(ひ)が点々としてともっているのである。よく見ると、場所によってこの新芽のよく出そろったところもあり、また別の町ではあまり目立たないところもある。さらにまた、同じ場所でも、一本一本見て行くと木によって多少ずつの相違があって、ある木は一面に浅緑でおおわれているのに、すぐ近くの他の木ではほんの少ししか新芽が見えないといったようなふうである。
いつであったか、街燈の照明の影響でこの木の黄葉落葉に遅速があるということが、どこかの通俗科学雑誌の紙上で問題になったことがあるように記憶するが、しかし現在の新芽の場合では、街燈との関係はどうもあまりはっきりしないようである。
本郷(ほんごう)大学正門内の並み木の銀杏(いちょう)の黄葉し落葉するのにも著しい遅速がある。先年友人M君が詳しく各樹の遅速を調べて記録したことがあって、その結果を見せてもらったことがある。それが、日照とか夜間放熱とか気温とか風当たりとかそういう単なる気象的条件の差異によってこれらの遅速を説明しようと思っても、なかなか簡単には説明されそうもないような結果であった。また根の周囲の土壌(どじょう)の質や水分供給の差異によるとも思われなかった。それからまた、関東震災のときに焼けたのと焼けなかったのとの区別によるのではないかとの説もあったが、なかなかそれだけのことでは決定されそうにない。そういう外部の物理的化学的条件だけではなくて、もっと大切な各樹個体に内在する条件があるのではないかと素人(しろうと)考えにも想像されるのであった。もちろん生物学をよく知らない自分にはほんとうのことはわからない。
この銀杏でもプラタヌスでも、やはり一種の生物であってみれば、ただの無機物のようにそうそう簡単でないのはむしろ当然のことであろう。
それはとにかく、こんなちょっとした例を見ただけでも、環境の作用だけで「人間」を一色にしようとする努力が無効なものである、という、その平凡な事実の奥底には、普通政治家・教育家・宗教家たちの考えているとはかなり違った、自然科学的な問題が伏在していることが想像されるようである。
(昭和九年十一月、中央公論)
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底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年9月5日第65刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年3月6日作成
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