四 錯覚利用術
これも目のたよりにならぬ話である。
急に暑くなった日に電車に乗って行くうちに頭がぼうっとして、今どこを通っているかという自覚もなくぼんやり窓外をながめていると、とあるビルディングの高い壁面に、たぶん夜の照明のためと思われる大きな片かなのサインが「ジンジンホー」と読まれた。どういうわけか、その瞬間に、これは何か新しい清涼飲料の広告であろうという気がした。しかしその次の瞬間に電車は進んで、私は丸(まる)の内(うち)「時事新報」社の前を通っている私を発見したのであった。
宅(うち)に近い盛り場にあるある店の看板は、人がよく「ボンラクサ」と読んでなんのことだろうと思うそうである。丸(まる)の内(うち)の「グンデルビ上海」の類である。東海道を居眠りして来た乗客が品川(しながわ)で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言ったのも同様である。
反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。
たとえばゴルフの大家梅木鶴吉(うめきつるきち)という人があるとする。そうして書店の陳列棚(ちんれつだな)に「ゴルフの要訣(ようけつ)、梅本鶴吉著」という本があったとすると、十人が九人まで「本」を「木」と読んでその本を買って来るであろう。そうしてその九人のうち四人か五人まではおしまいまで、その間違いに気づかずにしまうかもしれない。書いてある事に間違いがなければ、苦情の言いようはない。
こういう間違いの心理のもう少し複雑なものを巧みに利用したと思われるのが新聞記事の中で時々見つかる。
たとえば、ある学者が一株の椿(つばき)の花の日々に落ちる数を記録して、その数の日々の変化異同の統計的型式を調べ、それが群起地震の日々あるいは月々の頻度(ひんど)の変化異同の統計的型式と抽象的形式的に類型的であるという論文を発表したとする。そのような、ほんのちょっとした論文の内容がどうかすると新聞ではたいした「世界的」な研究になったり、ラジオでまで放送されて、当の学者は陰で冷や汗を流すのである。この新聞記事を読んだ人は相当な人でも、あたかも「椿の花の落ち方を見て地震の予知ができる」と書いてあるかのような錯覚を起こす。そうして学者側の読者は「とんでもなく吹いたものだ」と言って笑うかおこるかである。ところでその記事をよくよく読んでみるとちっとも、そんなうそは書いてないのである。ともかくもその論文の要点はそんなにひどく歪曲(わいきょく)されずに書いてある。それなのに、活字の大小の使い分けや、文章の巧妙なる陰影の魔力によって読者読後の感じは、どうにも、書いてある事実とはちがったものになるのである。実に驚くべき芸術である。こういうのがいわゆるジャーナリズムの真髄とでもいうのであろう。
ついこのあいだもある学者がアメリカの学会へ行って「黄海(こうかい)の水を日本海へ注入して電力を起こす」という設計を提出して世界の学者を驚かせたという記事が出た。数日後に電車でひょっくりその学者に会って「君はアメリカに行っているはずじゃないですか」と聞いたら、そうではなくて、ただ論文を送っただけで、それをだれかが代読したのだそうである。題目は朝鮮(ちょうせん)の河川の流域変更に関するものだそうである。なるほど、新聞記事のどこにも、当人自身がその論文をよんだとはっきり書いてはなかったかもしれない。河川の流域を変ずれば、なるほど黄海に落ちるはずの水を日本海に入れる事も可能である。しかし、新聞記事の多数の読者には、どうしても、当人が登壇して滔々(とうとう)と論じたかのごとく、また黄河の水を大きなバケツか何かで、どんどん日本海へくみ込むかと思わせるようになっているのである。そのほうがなるほどたしかにおもしろいには相違ないのである。一種の芸術としては実に感嘆すべきものであるが、犠牲になる学者の難儀もまた少々ではないのである。
この術は決して新しいものではなくて、古い古い昔から、時には偉大なる王者や聖賢により、時にはさらにより多く奸臣(かんしん)の扇動者によって利用されて来たものである。前者の場合には世道人心を善導し、後者の場合には惨禍と擾乱(じょうらん)を巻き起こした例がはなはだ多いようである。いずれもとにかく人間の錯覚を利用するものである。
もしも人間の「目」が少しも錯覚のないものであったら、ヒトラーもレーニンもただの人間であり、A一A事件もB一B事件も起こらず、三原山(みはらやま)もにぎわわず、婦人雑誌は特種を失い、学問の自由などという言葉も雲消霧散するのではないかという気がする。しかしそうなってははなはだ困る人ができてくるかもしれない。「錯覚」を食って生活している人がどのくらいあるかちょっと見当がつかないのである。また錯覚からよびさまされて喜ぶ人はほとんどまれである。尊崇している偉人や大家がたちまちにして凡人以下になったりするのではだれでも不愉快である。大概の錯覚は永久にだいじにそっとしておくほうがいいかもしれない。ただ事がらが自然科学の事実に関する限り、それを新聞社会欄の記事として錯覚的興味をそそることだけは遠慮なくやめたほうがいいであろうと思う。何人(なんびと)をも益することなくして、ただ日本の新聞というものの価値をおとすだけだからである。
五 紙獅子
銀座(ぎんざ)や新宿(しんじゅく)の夜店で、薄紙をはり合わせて作った角張ったお獅子(しし)を、卓上のセルロイド製スクリーンの前に置き、少しはなれた所から団扇(うちわ)で風を送って乱舞させる、という、そういう玩具(おもちゃ)を売っているのである。これは物理的にもなかなかおもしろいものである。ヨーヨーも物理的玩具(がんぐ)であるが、あれはだいたいは簡単な剛体力学の原理ですべてが解釈される。しかしこの獅子のほうは複雑な渦流(かりゅう)が複雑な面に及ぼす力の問題を包んでいる。飛行機と突風との関係に似ていっそう複雑な場合であるから、世界じゅうの航空力学の大家でも手こずらせるだけの難題を提供するかもしれない。
このおもちゃは、たしかに二十年も前にやはり夜店で見たことがあるから、かなり昔からあるかもしれない。もしこれが日本人の発明だとしたらたしかに自慢のできるものである。事によるとシナから来たかもしれない。玩具(がんぐ)研究家の示教を得れば幸いである。
こんな巧妙なものでも、時代に合わず、西洋からはやってこない限りたいして商売にはならないらしい。
二十年前に見た時に感心したのは売り手のじいさんの団扇(うちわ)の使い方の巧妙なことであった。団扇の微妙な動かし方一つでおどけた四角の紙の獅子(しし)が、ありとあらゆる、「いわゆる獅子」の姿態をして見せる。つくづく見ていると、この紙片に魂がはいって、ほんとうに二匹の獅子が遊び戯れ相(あい)角逐(かくちく)しまた跳躍しているような幻覚をひき起こさせた。真に入神の技であると思って、深い印象を刻みつけられたことであった。あやつり人形の糸の代わりに空気の渦(うず)を使っているのだから驚く価値があるのである。これもやはり錯覚を利用する芸術である。
それが、昭和八年の夜店に現われたところを見ると、昔の紙の障子はセルロイドの円筒形スクリーンに変わっている。売り手のよごれた苦(にが)いじいさんは、洋服姿のモダンボーイに変わっている。しかし団扇の使い方に見られたあの入神の妙技(ヴァーチュオシティ)はもう見られない。獅子はバタバタとチャールストンを踊るだけである。なるほどこのほうがほがらかで現代的で見るのに骨が折れない。一目見れば満足して次の店に移って行かれる。忙しい世の中に適している。
大正から昭和へかけての妙技無用主義、ジャズ・レビュー時代がどれだけ続いて、その後にまた少し落ち着いてゆっくり深く深く掘り下げて洗練を経たものが喜ばれ尊重される時代が来るか、天文学者が遊星の運動を観測しているような、気長い気持ちで見ているのもまた興味のないことではない。
(昭和八年八月、中央公論)
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底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
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